燕市・戸隠神社(星野和彦宮司)は15日の春季例大祭を前に14日、宵宮祭を行った。東日本大震災に配慮して万灯行事と大名行列は中止、宵宮の踊り子による奉納や参拝だけと大幅に縮小。三条祭りと同じ2日間に重なって人出が心配されたが、ふたを開けてみれば近年にないにぎわいを見せ、関係者を驚かせた。
露店の出店数は、三条まつりと重なったせいか、昨年の138店を下回る117店にとどまった。人出を減らす悪条件ばかりだった。それでもこの日は青空が広がって日中の強風も夕方から収まり、夜は上着の必要ない過ごしやすい陽気になった。
関係者の話では震災以来、自粛ムードがまん延していたために逆に市民はにぎやかな場所を求めて祭りに繰り出したと分析する人が多く、大型連休後半もそうだったように自粛にも息切れしているようだ。
行事を縮小したなかで唯一、祭りの華の役を担ったのが、木場小路万灯組(川上靖夫委員長)による「お玉」の踊りだ。神社裏の宿にお玉7人をはじめ、ひょっとこ、鳴り物や歌を担当する若連中など役80人が集まった。
星野宮司が参加者を払い清め、例年通りの楽しい、にぎやかな祭りとは違うが、「心していただきまして厳粛ななかにも誇らしい伝統行事をご披露いただきたい」とあいさつ。東日本大震災の犠牲者に黙とうをささげたあと、さっそく宿の前で踊り、下座を披露した。
神社裏の木々の萌える新緑が傾き始めた5月の日差しを透かして輝いた。笛と合いの手から「木遣音頭(きやりおんど)」が始まり、若連中総代の会社役員沖坂正喜さん(36)=燕市水道町2=が「エン〜ヤラ〜ヤ〜」と歌い出し。そして、お玉の「ヨーイトナ」のかけ声で「伊勢音頭」に移り、お玉の踊りのスタートだ。
お玉は、結った髪を角のように立て、顔を真っ白に塗って紅を差す。吾妻流の日本舞踊の師匠が10年以上、指導に当たっており、踊りは本格的で子どもとは思えないほど完成度が高い。小首をかしげるような所作がかわいい一方、しなやかな踊りに時折、おとなのような色気を垣間見せるのが魅力だ。
踊りが終わると「はーい、礼!」とみんなでそろっておじき。続いて社務所前、宮小路で下座を披露したあと、二手に分かれて町内の門付けに回った。門付けに回る家では振る舞い酒があり、若連中の熱気も上がるばかり。扇子を広げて頭の上に振りかざすなどして盛り上げると、それにつられてお玉も踊りも思いっきりが良くなった。
「伊勢音頭」は九番まであり、実際に歌うのは五番まで。地名を読み込んだ歌詞を順に歌い、1カ所で同じ歌詞は2度歌わない。しかし、燕市では東日本大震災で被災した福島県南相馬市の人たちが避難していることから、若連中の家の門付けで、福島県の「会津」を歌った三番の歌詞を異例の3度繰り返して歌った。
若連中のなかには震災後に「会津」を歌って涙が出たと言う人もあり、「会津」の三連チャンに犠牲者を追悼、被災地の復興の願いを込めた。
燕市内2カ所の避難所からも避難している人の大半、30人ほどが市の送迎で祭り見物に訪れた。星野宮司は避難している人たちに『がんばろう日本』のお守りをプレゼント。また、コロッケと飲み物をサービスする飲食店もあった。
南相馬市の女性は、福島では神社が集落のはずれにあることが多く、町の真ん中にある神社に、「親しみやすくていいですね」。お玉の踊りには「あんまり洗練されててびっくりしました」と話していた。
午後7時から拝殿で宵宮祭が行われ、それが終わるのにあわせて木場小路万灯が拝殿に到着。参拝したあと、星野宮司の「それでは、がんばろう日本!。木場小路万灯組、元気を出してお願いします!」のあいさつに続き、ことしの春祭りの最後となる万灯の踊りを参道で奉納した。境内は身動きできないほどの人出になり、参拝者はお玉の踊りに目を細めていた。15日は午後2時から震災復興祈願祭とあわせて春季例大祭の神事を行う。