三条市は、東日本大震災で市内に避難所を設置してからちょうど3カ月たった16日、体育文化センターの避難所を閉鎖して総合福祉センター1カ所に統合。それに伴って体育文化センターの避難所を利用していた21人が総合福祉センターの避難所へ引っ越した。
三条市は震災発生から5日後の3月16日に避難所を開設し、ピーク時で4か所の避難所に合わせて611人を受け入れた。その後、三条市内の集合住宅へ引っ越したり帰省したりで避難所を利用する人は減少の一途だ。
加えて夏に向けて冷房施設のない避難所の生活は厳しいことから、5月末に勤労青少年ホーム「ソレイユ三条」の避難所を閉鎖して体育文化センターと統合。農業体験交流センター「サンファーム三条」は利用者がなくなって閉鎖した。
さらにそれから2週間余りで避難所を利用している人が減ったため、体育文化センターを閉鎖し、総合福祉センター1カ所に統合することに。総合福祉センターの利用者は51人に新たに体育文化センターから移動した21人を合わせて72人となった。
体育文化センターでは、早い人は早朝5時半ころから荷造りを始め、8時ころから運送業者のトラックに荷物を積み込んだ。
南相馬市小高区の遠藤文子さん(74)は、3か月間をこの避難所で過ごした。「このバスは新潟に行く」とだけ聞かされて体育文化センターに到着。最初に目に飛び込んだのは、毛布にくるまるだけだった福島の避難所にはなかった布団。そして壁に張られた「三条市は皆さんを心から応援します!」のメッセージで、「あの、メッセージは感動しました」と思い出す。
また、「浜通りは温暖な気候だから」と、雪と寒さ、水の冷たさにも驚いた。それから雪が解け、サクラやハナミズキ、スイセンの花が咲いて散った。田植えが終わり、真っ白な雪原から緑鮮やかな景色になったと振り返る。
同じく小高区の西村サト子さん(62)は、三条に来てからナシの受粉や摘果作業、寺の庭掃除などいろいろなアルバイトをした。避難して間もないころ、車でコインランドリーを探していると、福島ナンバーに気付いた人が近寄ってきた。「どこに行くんですか?」、「こっちですよ」と案内してくれた。西村さんは「三条の人はどうして親切なんだろう」、「どうしましたか?と声をかけてくれる」と感謝でいっぱいだ。
遠藤さんも西村さんも、引っ越すなら避難所ではなく、我が家へ願っているのは言うまでもない。最初の避難から家族は散り散りになった。仮設住宅の抽選にも申し込んでいるものの、今の南相馬市の厳しい医療事情も気がかりだ。
南相馬市の小学校の給食は、複数の理由でおにぎりと牛乳の乏しい献立になっていると報道されていることを心配し、自分たちは3食、食べられるのに涙していた。
荷物の積み込みなどが終わった9時半過ぎに、三条市社会福祉協議会のマイクロバスで、新しい避難所に移動。総合福祉センターでは、もとの利用者51人が多目的ホールを利用しており、スペースの問題から体育文化センターからの21人は2階の会議室を利用する。