三条商鐵組合(野崎正明組合長・組合員49社)は1日、三条市・ビップ三条で同組合創立120周年式典を行い、組合員や来賓約170人が出席して人で言えば還暦2周分、大還暦に当たる大きな節目を祝った。
三条商鐵組合は1891年(明治24)、当時で言う三条町や燕町で鉄を商う9社で発足。日本鉄道の上野ー青森間が全線開通した年で、大日本帝国憲法が発布されて2年後のこと。三条市名誉市民の岩田正巳画伯はこの2年後に生まれた。
記念式典は120周年記念事業のひとつで、ほかにも記念事業として記念誌作成、記念旅行、記念ゴルフ大会を行う。
式典では、野崎忠五郎商店代表の野崎組合長が式辞で組合の歴史をひもとき、「三条商鐵組合の歴史はまさに三者一体、製造業各社と金物卸企業各社との協調と連携のなかで築かれ、今日に至っております」と述べ、各業界に感謝した。
21世紀に入ってから前半の5年は鉄鋼需要の停滞による世界的な構造改革と大きな業界再編が行われ、後半5年間は一転して中国を中心とする新興国の台頭で世界的成長期に突入。昨年は世界の粗鋼生産量が初めて14億トンに達し、中国の生産量は6億トンを超え、日本の生産量の6倍以上に達し、世界のなかの日本、地域というグローバルな視点で業界を見据えていかなければならないと痛感しているとした。
組合の歴史は戦後の復興、高度成長、オイルショック、そして円高不況、さらにはバブル崩壊など、まさに日本経済の激動と対峙してきた120年。ことしに入ってリーマンショックを終え、円高、デフレを克服し、ようやく明るさが見え始めた矢先の東日本大震災で、先行きの見通しはさらに厳しい。
一方で国際化、情報化の波は過去にないスピードで地域経済、地場産業に押し寄せており、こうした厳しい変化に的確に対応しながら「創立120周年を新たな出発点として、10年後、20年後に向けて組合員一同、団結と努力を続けていく所存」と決意を新たにした。
祝辞で来賓の菊田真紀子外務政務官は、「戊辰戦争の傷跡まだ深い明治の時代、そしてまた新しい政権ができて新しい国づくりが始まったそのころに、おそらく全国に先駆けて設立がされたというのは、あらためてすばらしいことである、いかに先見性があったかということを今、あらためて感じる」と述べた。
国定勇人市長は、「ものづくり」はわがまちのアイデンティティーであり、「製造業、金物卸、そして商鐵組合の企業の皆さん、これがまさに三位一体となって連携を深めながら、お互いに協力をしながら、上手に歯車を回し続けることができたからこそ、三条というまちがものづくりのまちとしてあり続けることができたのだろう」
東日本大震災で大きな国難を迎えているが、これから被災地の復興、復旧の緒につくところで、「ものづくりを通じて被災地に対して全面的に経済的な面からも支援をしていくことこそが、われわれに課せられた最大の責務」で、この責務を遂行するには商鐵組合の企業の「踏ん張りようがとても大事」。120周年の節目に東日本大震災が発生したのも「何かの神の啓示では」との見方を示し、「この難局を乗り越えてますますタフで、たくましい三条商鐵組合に」と求めた。
斉藤弘文三条商工会議所会頭は、昨年11月に会頭に就いて以来、全国各地のいろんな人と交流するなかで、「三条がいかにすばらしいまちなのか、そして三条市の産業がどれだけすばらしいものであるかということを気付かされた」。「人口が10万人にも満たない小さなまちから上場企業が7社、生まれ育ち、今も大きく羽ばたいている」と胸を張り、三条信用金庫が110年の節目の年を迎え、同金庫の杉野会長が地方の金融機関では絶対になれないといわれていた関東信用金庫協会の会長に就くことを紹介した。
「鉄は産業のコメ」、「鉄は国家なり」の言葉を引き、明治、大正、昭和と鉄に関する仕事に相当、優秀な人材が集まり、その人たちの情報をしっかり受け止めて三条にもち帰ってくれたと推察。しっかした情報の受発信が今日の産業の発展につながると思う「ただ単に素材を売るのじゃなくして、情報を売っていただきたい」と、本業以外の役割も求めた。
歴代組合長の中條耕二第14代組合長、松縄弘第15第組合長、外山一郎第16代組合長、近藤雄介第17代組合長に感謝状を贈った。中條第14代組合長は謝辞で、「わたしどもは、その時代において一生懸命、組合長として皆さまのご支援をいただきながら微力ながら組合のためにご奉仕をさせていただいただけ」とし、感謝状は「望外の喜び」。商鐵組合は地域の産業のために鉄をはじめ金属の材料供給という重要な任務を果たしてきた。「本日の式典をひとつの契機として鉄の道を歩み、さらに微力を尽くして捧げる決意を披瀝し、謝辞とさせていただきます」と述べた。