燕市教育委員会では7日から13日まで燕市中央公民館で平成23年燕市遺跡展「いにしえの燕ー市内の遺跡をめぐるー」を開き、初日7日は市内2小学校から3クラスの団体見学もあってにぎわった。
燕市で確認された227の遺跡のなかから6つの遺跡を約200点の遺物展示とともに紹介している。
紹介するのは、海岸部で確認された旧石器時代の「有馬崎(ありまざき)遺跡」=国上=、燕市が昭和35年に初めて遺跡発掘調査を行った「幕島(まくじま)遺跡」=渡部=、古墳時代からの集落の形が見つかった「五千石(ごせんごく)遺跡」=五千石=、律令時代の幕開け「三角田(さんかくだ)遺跡」=松橋=、出土品が語る平安時代の集落「上町(かんまち)遺跡」=笈ヶ島=、平安から室町時代の川を利用した物流ネットワーク「北小脇(きたしょうわき)遺跡」=米納津=。
会場に入って正面で迎えるのは、燕市指定文化財の「釜屋の壺」。昭和47年(1972)に県営佐渡山ほ場整備事業の工事中にほぼ完形で見つかった9世紀前半の須恵器(すえき)の長頸瓶(ちょうけいへい)。周辺ではほかにも土師器(はじき)や須恵器が出土し、浦田川東遺跡として登録され、付近一帯は居畑(えばた)遺跡、長所遺跡、長所館跡、浦田乙遺跡など古代から中世の遺跡があり、郷土史を知る貴重な資料だ。
隣りに7世紀から8世紀の宝崎遺跡、8世紀から9世紀の朝日山展望台遺跡から出土した布目瓦(ぬのめがわら)と国上山から寺泊へ連なる地域で見つかった。当時、瓦は貴重で、重要な施設があったと思われる。8世紀前半の天王遺跡から出土した凝った造形の透脚円面硯(とうきゃくえんめんけん)も展示する。
さらには香児山(かごやま)遺跡から出土した「尹」とある墨書土器を展示。律令制では、官人が中央と地方との交通、情報伝達のために宿舎や食糧を提供した「駅家(うまや)」という施設が整備された。この「尹」は弥彦がかつて「伊夜比古」とも記述されていることから、その頭文字の可能性があり、弥彦に駅家が存在したことを推測させ、越後の古代史を探る重要な資料でもある。
初日7日は燕西小から2クラス、吉田北小から1クラスの小学生が団体で見学に訪れた。そのほかに埋蔵文化財などに関心のある人の来場が切れ目なく、会場の調査担当者に遺物から推測される当時のようすや、ただの石に見えるものが遺物と判別できるこつなどを熱心に聞き入っていた。
開場は毎日午前9時半から午後5時まで、入場無料。日曜10日は遺跡体験イベントも行う。