2004年の新潟・福島豪雨による7・13水害で9人が犠牲になった三条市は、それから7年たった13日、五十嵐川の堤防が決壊地点に建設された三条市水害復興記念公園=諏訪1=で黙とう、献花が行われた。
国定勇人市長と吉田実副市長、岡田伸夫三条地域振興局長、佐藤卓之県議、下村喜作市議会議長のほか、地元の人たちなど約20人が参列。公園に建立された慰霊の碑の前に張ったテントの下で堤防決壊が確認されたのと同じ午後1時15分、黙とう。続いて献花して犠牲者の冥福を祈った。
今夏は早くも梅雨明けし、抜けるような青空が広がって三条で最高気温32.9度の猛暑。当時の豪雨とは正反対だったが、当時も豪雨が収まった途端にぎらぎらと真夏の日差しが照りつけたことを思い出させた。
節電の夏で7月に入ってポロシャツがユニホームになっている国定市長も、この日は上着にネクタイを着用。当時、国定市長は三条市職員として水害の被害を目の当たりにし、対策に奔走した。
国定市長は、水害の記憶が薄れつつあるが、風化させてはならず、三条市は今春、新たに「逃げどきマップ」も作成ししているが、地域コミュニティーを「災害発生時の時の対応に結びつけていくことが次の課題になる」と、平時からの災害対応の強化にも力を入れていきたいと話していた。
また、この日更新したブログ「三条市長日記」の「7.13水害を忘れない」では、「今日の晴天と同様、記憶の風化とともに、“あの日のできごと”を想像することさえできない世代は毎年確実に増えていきます。だからこそ、毎年、誓いを新たにしなければならない。」と書いた。