燕市で毎日午後6時から防災業際無線で定期放送され、市内全域に流れている文部省唱歌『故郷(ふるさと)』のチャイムが20日、一昨年の「燕市合併3周年記念市民交流イベント」で公式テーマソングとしてつくられた『恋ツバメ。』に変更される。
燕市が合併してから防災無線をあらためて整備したなかで、平成21年から午後6時の『故郷』のチャイムを放送を全市一円で行ってきた。より狭い範囲を対象に区切って放送できるようシステムを変更し、主に小学区単位で希望のあった学区で昼にチャイムを流せるようにし、20日からその新しいシステムに移行する。
その前日19日夕方、燕市の被災支援対策本部で最近の取り組みについて取材していた。夕焼けに窓が赤く染まり始めたころ、これまでと同じように庁舎に設置されている防災無線の拡声機から『故郷』の定期放送が鳴り始めた。
「この曲を聴くのがいやなんです…」。福島県南相馬市が燕市に派遣している女性職員がぽつりとつぶやいた。最初は意味がわからなかった。南相馬市にも防災無線がある。震災前に「南相馬で『故郷』や『カ〜ラ〜ス〜、なぜ泣くの…』を聴いてたときは何とも思わなかったのに」。そう話しながら、涙こそこぼさなかったものの、みるみる目に涙をためてうるませ、赤くした。
問題は歌詞にある。『故郷』は、子どものころに育った野山を思い出し、最後は「…忘れがたきふるさと」。燕市に避難している人たちは、好きこのんで避難しているわけではない。ふるさとに帰ろうにも帰る家がなかったり、原発から20キロ以内の警戒区域では、そもそもふるさとへ立ち入ることさえ許されていない。ふるさとを懐かしむなどという悠長な感情はない。今すぐにでもふるさとに帰りたいというのが共通の願いだ。
悲しいはもちろんだが、悔しい、やりきれないという複雑な思いがない交ぜになり、噴き出し、感情を抑えられなくなるのだろう。何度か同じような状況があった気がするが、一度も気付いたことがない。毎度のことなので、『故郷』の音楽は確実に耳には届いていたのだろうが、頭には入ってきていなかった。
女性職員の言葉にはっとさせられ、その思いに気付いてあげられなかった自分がとても恥ずかしい。被災者支援は何も行動することだけではない。その第一歩は被災者に寄り添い、思いを共有することだと思う。それがあって、初めてどういったサポートやボランティアを考えるべきだ。
震災発生からこれまでに2度、南相馬市を訪れた。被災地の人たちと思いを共有したいという気持ちが強くあった。なのに、『故郷』が避難している人たちの心を傷付け、あるいは逆なでしていたことに震災から4カ月以上もたって初めて気付いた自分が情けない。避難所の人たちの多くが雇用促進住宅などに引っ越している。ちょっと時間をつくっていろいろな話を聞いてみたいと考えを新たにした。