燕市で今月末の避難所閉鎖の節目を前に避難所農園大収穫祭、避難者とボランティア、市職員など約90人が参加して収穫をバイキング料理で味わう (2011.7.29)

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燕市国上、旅館「分水長寿苑」で28日午後6時から避難所農園大収穫祭が開かれた。燕市内の避難所や集合住宅に避難している125人のうち約50人をはじめボランティアや被災者支援などにあたった市職員など約90人が参加して、避難所の人たちが栽培した夏野菜や果物を味わった。避難所で閉鎖で新生活をスタートする人が多い反面、世話になった燕市をあとにする寂しさも入り交じった催しとなった。

28日開かれた燕市の避難所農園大収穫祭
28日開かれた燕市の避難所農園大収穫祭

燕市では、東日本大震災の発生から7日目、17日から避難者を受け入れ、消防・防災センターと市民体育センターの2カ所の避難所をメーンに、ピーク時は269人を受け入れた。それが28日には13人まで減ったが、市内の雇用促進住宅や市営住宅に入居している人を含めると今も125人を受け入れている。

避難所の人たちが生活を取り戻す足がかりになればと、市は震災から1カ月がたとうとするころに避難所農園を開設し、希望する人から畑仕事に就いてもらった。今月末で避難所を閉鎖することになったことから、避難所閉鎖の節目の意味を兼ねて畑の野菜や果物を収穫し、みんなで味わおうと、この日の大収穫祭となった。

鈴木市長と記念撮影
鈴木市長と記念撮影
鈴木市長のこんな顔も
鈴木市長のこんな顔も

この日の朝に収穫した材料で、燕市農村地域生活アドバイザー連絡会会員がイモ煮汁、新じゃが小芋の甘辛煮、かぼちゃのひき肉あんかけ、キュウリの佃煮、エダマメ、スイカなど実に15品を調理。さらに会場の長寿苑でも豚の角煮、フライドチキン、おにぎりの3品を用意し、計18品の豪華なバイキング料理が並んだ。

会場に飾った花瓶のダリアやヒャクニチソウの花も避難所農園産。ビールや日本酒も酌み交わし、マジックショーもあってにぎやかに過ごした。避難している人全員の顔と名前が一致するほど避難所に連日、通い詰めた鈴木力市長は、席を回ってあいさつし、帰郷する人たちと一緒に記念写真に収まっていた。

避難した人たちが避難所農園で栽培、収穫した野菜や果物で調理したバイキングメニューがどっさり
避難した人たちが避難所農園で栽培、収穫した野菜や果物で調理したバイキングメニューがどっさり

開宴前に避難所の榎木内正さん(84)=福島県南相馬市鹿島区南右田=があいさつ。燕市で世話になった人や診察してくれた医師に「何から何までお世話になりっぱなし」、「最初のうちは帰りたいような気持ちもございましたけど、あまりにも大事にされたもんですから、今度は帰りたくないような気も」と感謝し、農作業でも「つらい気持ちを癒していただいた」と話した。

榎内さんは、南相馬市で長男夫婦と同じ敷地で生活。長男夫婦は福島市飯坂へ避難し、自身はひとりで燕市へ避難した。津波では家を流され、木にしがみついて助かったが、津波が襲ってきたときに榎内さんの家に来ていた隣りの家の母娘は二人とも津波で亡くなった。

あいさつする榎内さん
あいさつする榎内さん

南相馬市の仮設住宅に入居が決まり、翌29日に帰郷する。「最初は1カ月くらいで帰られると大部分の人は予想をしてました」と榎内さん。しかし、今では「長く感じずに4カ月を過ごしました」と手厚い支援に感謝する。

夫婦で避難してきた避難所の遠藤尚子さん(66)=同市鹿島区大内=は、同じ鹿島区の親せきの家でしばらく生活してから、避難準備区域の自宅へ戻る考えだ。幸い、津波は免れたが、地震で家ががたがたになっており、片付けなどをして暮らせるかどうか判断する。

避難所では「居酒屋の石崎さんに良くしていただき、世話になりました」。燕市史料館や県立近代美術館にも連れて行ってくれ、職員にも「休日返上でいろいろしていただきました」。

鈴木市長と記念撮影
鈴木市長と記念撮影

また、南相馬市が市民の避難先に派遣している医療職を28日付けで引き揚げということで、4月9日から燕市へ派遣されている南相馬市の職員2人のうち、言語聴覚士の相良ますみさん(24)が燕市を離れることになり、あいさつした。

避難している市民に対して「皆様にさせていただけることは本当に少なくて、逆に元気をいただきました。これからいろんなところに離れると思いますが、それぞれの場所で一緒に頑張っていきたいと思います」。

燕市には、「職員も大変、お世話になり、心の傷というか、皆さま抱えていたものはたくさんあると思うんですが、笑顔で過ごすことが…できました…」と声を詰まらせ、「これからもお世話になりますので、よろしくお願いします」と別れのあいさつをした。

燕市へ派遣された初日は、避難所で避難している人たちの南相馬市の対する不満の矛先が向けられ、しかられ、怒鳴られたりした。「最初は本当にどうなるのかと」思った。自身は家族や家は無事だったが、家は小高区の警戒区域なので、立ち入ることができない。

しかし仕事を続けるうちに、避難している人たちも同じ被災者であることに理解を示し、逆に信頼を得ることができた。仕事をしている間は「自分が被災者なのを忘れさせてくれました」と4カ月間を振り返っていた。


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