越後長野温泉「嵐渓荘」(大竹啓五社長・三条市長野)は、記録的豪雨でわきを流れる守門川が増水してあふれたため床上浸水し、シンボル的な存在のつり橋も流失する大きな被害が出たが、10日後の営業再開を目指して急ピッチで復旧作業を進めている。
嵐渓荘は、大正末期の味わいのある木造建築、さらにそのわきを流れる守門川とそこにかかるつり橋が特徴的な風景をつくり出している。
今回の記録的豪雨で濁流となった守門川はあふれて楽々と1階の浴の高さを超え、地面から腰の辺りの高さまで水が上がった。
7月29日は雨が激しくなったために翌日の日帰り客はキャンセルし、客は連泊の女性客2人と地元のおばあさん3人。帰るに帰れなくなった従業員もいた。
最も増水したのは30日の明け方。「建物ごと流されるんじゃないかと思いました」、「7・13水害の比ではありませんでした」と大竹社長はその威力、恐怖を語る。つり橋が流される瞬間は見なかったが、そのころに流されたようで、ライトアップのあかりでつり橋が流失したことを知った。今はワイヤーだけが残っている。
水が引くと、玄関前には川の水とともに流れ込んだ泥が約30センチもの厚さにたまっていた。30日からさっそく泥だしや水につかって使えなくなった家具の運び出しなど後片付けにとりかかった。地元の親せきなど約20人がボランティアで手伝いに来てくれ、作業は思いのほかはかどった。
幸い水はわき水があり、電気、ガスも止まらず、ボイラーや冷房設備も無事。温泉にも問題はなく、大浴場も片付けてガラスを直せば利用できる状態。客室や厨房は無傷で、致命的な被害がなく、10日後の再開を目指すことができた。
大竹社長は「盆には間に合わせたいですから」と張り切る。気になるのはつり橋の復旧。つり橋が流されるのは初めてではなく、過去に2度流され、今のつり橋で3代目。昭和39年(1964)に架けてから50年近くたっていた。「何とかつり橋も元通りに復旧したいですね」とこれまでと変わらない姿を取り戻す日が一日も早く訪れることを待っている。