三条市は、東日本大震災や福島原発事故の影響により3月16日に開設した避難所の避難している人がすべて退所したことに伴って31日で閉鎖した。
避難所は、3月11日の震災から6日目の16日午後に国定市長が避難者の受け入れを決め、三条市総合福祉センター、ソレイユ三条、体育文化センター、サンファーム三条の4カ所に開設。同日夜から受け入れを開始し、福島県からの避難者を中心に最大で611人を受け入れ、開設から6か月近くの169日間での閉鎖。
避難者の減少や梅雨を前に冷房のある施設への移動などに伴い、避難所を統合し、最終的には総合福祉センターの多目的ホールの避難所1カ所となり、31日朝は9人が利用していた。
2人は福島県の浪江町が福島市に設置した仮設住宅、2人は南相馬市の仮設住宅、5人は三条市内のアパートなどへの入居が決まったことから、この日で退所。浪江町の設置する仮設住宅に入居する1世帯2人を午前8時半に三条市が車で、南相馬市の1世帯2人は午前9時半に南相馬市の手配した大型バスで帰郷した。
午前8時過ぎに国定勇人市長が避難所を訪れており、ツイッターに「皆さんの穏やかな表情が何よりでした」と記す一方、「この方々の避難生活は終わったわけではない」とつぶやいていた。
また、三条市への避難者に3月から同行した南相馬市職員の遠藤雄二さん(39)は、避難所の後片付けをしながら5か月半を振り返り「過ぎてみれば、早かった。1日1日が早かった」。最初は朝起きて気が付くと夕方か夜で、避難している人たちの不安を聞きながら南相馬市や三条市と連絡をとったりで、時計を見る暇もなかったんだと思うと話した。
遠藤さんが三条市を訪れたのは、3月17日。大型バス6台に分乗した約250人とともに三条市に入り、体育文化センターに到着。避難した人たちにとっても当時は原発が怖い、地震や津波の恐怖など普通の状況ではないなかでの県外避難で、自分自身も「何が何だか分からなった」。
「少しでも避難する人たちの不安を取り除こうと頑張ってきたつもり」と振り返り、日を追うごとに、義援金や東電の賠償、一時立入などの対応があり、不安がひとつひとつ解消されるたびにみんなの表情も変化していくのがわかり、接していくうちに家族のように変わってきたとも。
三条市の避難所の閉鎖については、避難所を出て帰郷する人や市内のアパートに移った人などに対して「大丈夫かな」と心配もあるものの「うれしいですね」。「次の行動に移るステップ」、「普通の生活に戻るために次のステップに向かっていく行動」との考えからだ。
見送った人たちの笑顔を思い出し、「(うれしい)反面、さみしい」。三条の避難所では、用意はあったものの最後まで段ボールの仕切りなど「ついたて」を使わなかったと言い、そのおかげで、「隣のおばあちゃん、調子が悪そう」、「顔が見えないといやだな」など、家族のようなつながりができたのではと話していた。
また、三条市や三条市民をはじめボランティアなど、たくさんの人から受けた物的、精神面で支援に礼を言っても言い尽くせず、言葉に表せないと感謝する。遠藤さんは現在、三条市内で家族と生活しているが、三条市への派遣は9月末までの予定で、10月からは家族を今のまま三条に残して単身、南相馬市に戻る予定。
8月31日午前8時現在で、公営住宅やアパート、親戚の家など東日本大震災や原発事故の関係で三条市に避難している人は305人。