東日本大震災の影響で三条市に避難した福島県の南相馬市民に同行し、3月17日から避難者の対応にあたっていた南相馬市職員、遠藤雄二さん(39)が、ちょうど6か月の9月16日で三条市への派遣の任務を終了。10月から南相馬市での勤務に戻る。
この日、南相馬市役所と情報を共有するソフトの入ったパソコンを設置していた三条市総合福祉センターに最後の出勤をした遠藤さん。「この日を迎えると、短かった。自分の生きてきた中で、ものすごく中身の濃い6か月間」と振り返った。
当初は三条市の避難所で避難してきた人たちと生活をともにしながら、三条をはじめ五泉、田上、加茂に避難している人たちへの情報提供、質問や相談の応対など、南相馬市民と南相馬市、国、東京電力、三条市などとのパイプ役を担当してきた。
避難所では、「知らない人と一緒に寝泊まりして、何カ月も過ごした」。職員として、ひとりの人間として、さまざまな経験となった。多い時で600人の市民と接することができ、外から見た南相馬市、避難している人の気持ち、人と人とのつながり、「たくさんのことを勉強させてもらい、ありがたかった」。
また、三条市の市長や職員、市民、ボランティアなど、ありあまる支援を頂いたと言い、福島に戻った人たちの間では、各県や市町村など避難先の話題になると「三条にはかなわね」と言う人もいると笑う。「なんとか6か月間、勤めあげることができた」と多くの支援に感謝した。
10月4日から南相馬市役所での勤務に戻る。「本当は(市外に避難している人たちが)戻れるときまで、南相馬市の情報提供やいろいろな申請などの対応をしてあげたかった」と、三条市などに避難している人を気遣った。
それでも「不安もあるが、南相馬も時間が止まっているわけではなく、復興に向けてマンパワーが必要」、「津波、原発、地震の被害など、手を付けられないところもあるが、市民が戻れるようにと南相馬は動き始めている。そのために行政がしっかり動いていかないと」。
遠藤さんは、教育委員会スポーツ振興課の所属だったが、体育施設が被害を受けていたり、除染の関係でメーン行事のマラソン大会は中止が決定するなどの現状もあり、災害前とは全く違う仕事になるだろうと話していた。
また、前日15日の日付でアップしてあった国定勇人三条市長のブログ「三条市長日記」の『架け橋』を目にした遠藤さん。『架け橋」となってくれた遠藤さんへの感謝の言葉がつづられており、「うれしい・・」と言葉を詰まらせ、「ぐっときます」と目頭を押さえた。
三条も「ふるさと」と思わせてもらいたい。何年にも感じる6か月だった。東日本大震災で使われる「絆」という言葉のように、「戻っても、三条さんとつながらせていただきたい」と、さわやかな笑顔だ。
遠藤さんは10月、三条市で生活をはじめた家族と離れ、単身で南相馬市の自宅に戻る。4日の南相馬市での職場復帰を前にまずは仮設住宅を回り、三条など新潟でいっしょだった市民を訪問したいと話す。
今後、三条には休みを利用して家族に会いに来るほか、2か月に1度程度は情報提供のため訪れられるのでは。また、10月10日の三条マルシェに南相馬市の出店が決まったことから、同行できればと話していた。