燕市分水地区観光協会(田中公一会長)と分水異業種交流会は16日、燕市・国上山で分水地区の砂子塚に生まれたとされる伝説の鬼「酒呑童子(しゅてんどうじ)」にちなんだ行事「第7回越後くがみ山 酒呑童子行列」を行い、新潟妖怪研究の高橋郁丸さんによるトークショーを目玉にメーンの鬼灯火行列などさまざまな行事を行い、約8,000人もの人出でにぎわった。
旧分水町の閉町イベントとして始まってことしで7回目。前夜まで雨降りで心配されたが、強い風が続いたものの幸い雨はあがって行事はすべて予定通りに。道の駅国上で飲食物販売店が店開きし、正午から開会セレモニーで「酒呑童子物語」の酒だるで鏡開きも行ってスタートした。
夕方からの鬼行列参加者の申し込みを受け付ける一方で、売り上げ金を震災義援金に充てる復興支援プロジェクトとしてアトリエ・インフィニティの主催のキャンドルの手作り、鬼メイク体験コーナーを開設。裏手の酒呑童子神社では里神楽や稚児舞、酒呑童子変化のパフォーマンス、分水太鼓演奏なども行われた。
今回の目玉は新潟妖怪研究所の高橋郁丸さんとお笑い集団NAMARAの高橋なんぐさんのふたりによる「酒呑童子は何者か?」をテーマにしたトークショー。高橋さんは民俗研究とイラストや漫画の執筆も手掛けており、酒呑童子は元は分水に生まれたイケメンで、鬼となって京都で退治されたという伝説に肉付けした。
酒呑童子の退治は一条天皇が命を下し、源頼光とその子分の四天王、さらに平井保昌(ひらいやすまさ)の6人が毒の入った酒を酒呑童子に飲ませて退治した。四天王のひとりは坂田金時(さかたのきんとき)。この名では知らない人が多いだろうが、幼名はあの金太郎だ。鬼退治の後ろ盾のひとりが、陰陽師の安倍晴明(あべのせいめい)であり、数多くの歴史上の有名人がかかわっている。
酒呑童子は、桓武天皇の5番目の子どものおつきの人の子孫にあたり、なかなか子どもを授からなかった親が、信州に参拝して神から授かった子どもとも言われ、非常に優秀だった。国上寺は弥彦神社のつながりが深く、両者を結ぶ稚児道を文書を持った幼名「外道丸」が行き来すると、あまりの美男子ぶりに待ち構えていた娘から次々と恋文を渡され、その恋文から炎が上がって顔を焼かれ、鬼になった。
なんぐさんが「女性は怖いですね〜」と言えば、郁丸さんは「断るときはちゃんと断らないと」と恋愛のアドバイス?も。また、郁丸さんは、酒呑童子が住みついたとされる京都の大江町では酒呑童子のことはあまり悪く言われておらず、薬草や薬酒を作っていたという逸話があることも紹介した。
ほかにも酒呑童子は神道だった、製鉄の技術をもっていた、妻子があったなど、さまざまな説があることも話すとともに、郁丸さんが描いた酒呑童子のイラストも披露した。遠くは長岡市から郁丸さんや歴史のファンなどが訪れ、7、80人が郁丸さんの話に熱心に聴き入った。
さらに注目を集めたのが、鬼メーク。新潟美容専門学校「ジャパン・ビューティ・アカデミー」=新潟市中央区万代4=の学生9人がボランティアで来場者に無料で鬼メークを施した。分水地区の美容店オーナーの紹介で参加したもので、メークのデザインも学生が考案。おとな向けの顔の左右で異なるおしゃれなデザインと、子ども向けの牙も描いたかわいいデザイン、それに手の甲に描く鬼のイラストも。
五十嵐美和子教員は、「決まっているデザインのメークを頼まれたことは過去に何度もあるのですが、デザインからは難しかったです」、「結果的には土壇場で決まったデザインに決まりました」と苦労を話し、仕上がりに大満足。来場者にも好評で、メークしてもらった人を見て自分もとメークしてもらう人が次々と続き、行列のできる人気だった。
そして夕方からメーンの鬼灯火行列。参加者はシャトルバスで道の駅国上から国上山中腹の国上寺まで上がり、同寺本堂前で出発セレモニー、山田光哲住職がはらい清めの儀式を行って出発。山車に乗って演奏する分水太鼓を先頭に、ほら貝を吹く山伏、外道丸役などに一般参加鬼が続く約350人の大行列が山を下った。
ちょうちんを手に林道国上長崎線を30分ほどかけて下り、酒呑童子神社に到着するとかがり火と山をスギ林を投光器で照らすライトアップが行列を迎えた。道の駅では日中に行った復興支援プロジェクトで作られた240のキャンドルがともり、参加者にはあったかい良寛汁がふるまわれた。
最後に鈴木力市長があいさつ、酒呑童子行列を「さらに磨き上げて全国的に発信できるイベントに」と期待した。鬼の仮装コンテストの審査結果を発表、表彰し、おとなの部では三条市から出場の桜木きよ里さんが、コスプレとも言える今までにないリアルな鬼の仮装で優勝。日中から切れ目がないほど来場者から記念撮影をせがまれる人気だった。そしてことしも最後は参加者の諸願成就を祈願する打ち上げ花火で締めくくった。