燕市は9月に新潟大学災害・復興科学研究所と「防災まちづくりに関する協定」を締結したのに伴う第一弾事業として3日午後1時半から燕市吉田産業会館で燕市地域防災シンポジウムを開き、約250人もが出席して地域防災について考えた。このなかで鈴木力市長は、温泉地をもつ県外の市町村を対象に災害時相互応援協定の締結に向けて取り組んでいることを明らかにした。
鈴木市長は、東日本大震災での原発事故の対応から話を進めたもので、これまで原発事故は半径10キロぐらいを対象に対策が考えられていたが、今回の福島原発事故では、すでに福島県南相馬市の人が新潟へ避難する状況が発生。燕市では分水地区が柏崎刈羽原発から30キロ圏内に入り、原発事故に伴う防災を分水地区だけで考えればいいのか、全市的で考えるのか、避難のルートはどうするのかという問題が生じ、「燕市だけで検討する課題をもう越えていると思います」とさらに県内だけでは対応できない状況が想定されるとした。
そして「ちょっと種明かしをしますと」と、東日本大震災で避難者を受け入れた経験から「温泉地をもっている市町村は魅力的だなと思ってるんですよ」。宿泊施設の多い地域はスムーズに大量の避難者を受け入れることができ、「その辺あたりを念頭に友だちになりませんか攻撃を今やってますので、本当に結婚が成立しましたらいずれ皆さんには発表させていただきたい」と話し、本筋では県内の市町村長と研究しながら防災対策を進めているが、内々に燕市独自でもいろんなことを始めていると理解を求めた。
シンポジウムは、長岡市社会福祉協議会中之島支所の吉野久美子支所長が「7・13からの歩み」をテーマに基調講演のあと、パネルディスカッションを行った。吉野支所長は、2004年の7・13水害で得た経験と教訓、水害後の中之島地域の取り組みなどについて話した。
パネルディスカッションのコーディネーターは、燕市が新潟大学災害・復興科学研究所との協定締結で燕市総合防災アドバイザーに就いた同研究所の福留邦洋特任准教授。そして吉野支所長と鈴木力市長、平成20年に発足した小池自治会自主防災組織の笹川常夫会長、燕市消防団第2方面隊の寺本正美副方面隊長の4人がパネリストを務めた。
パネリストはそれぞれ自主防災にかかわるこれまでの取り組みなどを話した。加えて鈴木市長は、県職員としてこれまでの県内で起きた大きな災害にどうかかわったか、最近もっている問題意識について話した。
7・13水害、中越沖地震と続いた平成16年は、県からにいがた創造産業機構に出向しており、災害への対応を産業の面から経験を生かしたものづくりをしよう、災害に必要な食糧、資材を開発しようといろいろな話を聴いた。
2007年は年度途中に県の産業振興課課長補佐から政策課の政策監に異動した直後に中越沖地震が発生し、いきなり災害対策の中枢に。その後、原発問題もあり、柏崎の復興ビジョンの策定も担当。原発停止と再稼働の2つのシナリオをつくって着地させたが、東日本大震災に伴う避難者の受け入れには「そのときの経験が非常に生きた」、「比較的、私自身、戸惑うことなく陣頭指揮がとれたのかなと」と自負した。
防災について考えた末に行き当たったキーワードが「イマジネーション」。次に起こる事態を想定することが大切だが、東日本大震災の津波は「こういう場面は全然、思いつかなかった」。さらに「津波が燕に押し寄せてきたときにわれわれがどう行動していったらいいのか、ということを考えておく必要がある」という問題意識を示し、「その瞬間には行政は助けられない」と自助、共助を一緒に考えていきたいと呼びかけた。
これを受けて福留准教授は、「過去の災害をどのくらい学ぶのか、どうのように考えるかということが結果的にイマジネーションを高めることになる」と指摘し、過去に燕市は大災害に遭っていないが、7月の記録的豪雨についてあらためて状況を確認しようと、鈴木市長が井土巻や東町で発生した冠水の写真を映しながら状況を振り返った。
今回は初めての経験で状況を見ながら判断していかなければならず、避難の必要性や人員の投入を判断する必要があった。そこで浮き彫りになった問題は、まず第一に分庁舎方式に伴うロス。次に情報の伝達。中ノ口川と信濃川にはさまれた東町地区に避難準備情報を出したが、中ノ口川の水位は切迫しておらず、信濃川の方が危険になり、三条市は全市避難勧告を発表。それが報道されるなかでわれわれはどうしたらいいのかと不安になってくるなかで対応した。
東町地区にまだ自主防災組織がないという問題があるが、信濃川と中ノ口川をどう警戒すればいいのかということの専門的な判断に「まだまだ経験不足といった面があったかもしれない」と反省した。
さらに、このときの危険な状況を対象地域だけに伝えればいいのか、あるいは全市に伝えて全体を把握できるようにするのか、それが全市民か全自治会長のなのかはまた別な議論があるが、対象となる自治会以外にも情報を渡す必要があるのではないかとの考えも示した。
井土巻の冠水地区に車が突っ込んでいかないよう、大量の人員を投入した。しかし万が一、信濃川が決壊した場合、人員を投入して良かったのかという考えもあり、検証すればするほどいろんな課題が出てくる。それを含めて市の体制を考えなければならないが、「自分の家、自分の地域、自分たちで何とかするという意識をもったり、行動してもらわないとカバーしきれないのが現実」とした。
災害にすべて対応するのは難しく「減災という視点でいろいろ考えていくのが現実的な対応」。燕市内の自主防災組織の組織率は61%だが、吉田地区96%、分水地区80%、燕地区36%とかなり差があることも指摘した。
東日本大震災発生から1週間ほどたって読んだ『津波災害』(岩波新書)が、昨年12月に今回の津波を予言したような内容でその通りのことが起きた。命を守る避難とその後の住宅の手当てなどの避難は異なり、避難訓練も命を守る避難までやるかどうかも考えなければならず、津波を想定するのか、ことしの豪雨も長野でも雨が降っていたらさらに破堤の危険が高まった、地震で堤防が壊れる可能性もあると、「いろいろ想像しながら対応するというくせを我々自身、燕市役所の職員としてやっていかなければ市民の命は守れない」と気を引き締めた。
11月27日に分水地区で水害を想定した避難訓練を行うが、地域に人にどこが高い所か一緒に探すことも行い、検証する。それをほかの地区まで転嫁させていきたいとした。さらに防災教育の徹底。東日本大震災で釜石の奇跡、石巻の悲劇と対比して言われるが、子どもの防災教育の重要性も話した。
パネルディスカッションの大半の時間を鈴木市長が話したが、それでも話し足りないようすで、鈴木市長の防災に対する思いを市民に訴えるような場ともなった。出席したのは市内の自治会長や民生委員、消防関係者などで、相次ぐ大災害に防災にする対する意識が高まっていることもあるのか、メモをとるなど集中して聴き入っていた。