東日本大震災で警戒区域として立ち入り禁止になった福島県南相馬市小高区の有名ラーメン店「双葉食堂」の店主、豊田英子さん(61)は、三条市の避難所に避難していたが、同市鹿島区の仮設店舗で営業を再開。復活したラーメンを味わおうと4日、国定勇人三条市長が同店を訪問した。
双葉食堂は県外からも来店客を集める名店。店主の豊田さんは三条市勤労青少年ホーム「ソレイユ三条」に避難していたが、仮設店舗への出店の照会があって出店を決め、5月いっぱいで南相馬市へ戻り、10月23日に仮設店舗で営業を再開した。
仮設店舗は2棟に合わせて10近くが出店。双葉食堂は約40平方メートルの店内に38席あり、「中華そば」と「もやしラーメン」を販売。昼時には行列ができ、並んだ仮設店舗の中でも人気を集めている。
国定市長は2日午後に宮城県石巻市で開かれた防災講演会に出向き、5日は東京で開かれる災害復旧促進全国大会に出席のため、その移動の途中で双葉食堂に立ち寄った。国定市長が南相馬市を訪れたのは、5月4日に三条市内の避難所から福島県の警戒区域へ一時帰宅する人たちに同行して以来、半年ぶり2回目。
国定市長来店の情報は、南相馬市へ戻った三条市へ避難していた人たちのネットワークで広まり、午後1時半前に来店した国定市長を30人近くが猛烈な寒風の吹くなか出迎えた。震災からちょうど1カ月後に前市議として三条市を訪れ、大粒の涙をこぼした高野光二県議の姿も。
三条市総合福祉センターの避難所で世話役を務めた杉義行さん(71)が代表して国定市長に感謝の言葉を述べ、色紙に書いた寄せ書きを手渡すと、国定市長は感極まって涙がこぼれそうに。
次々と「ありがとうございました」、「お世話になりました」と礼を言い、握手や記念撮影を求め、思い出話も尽きず、国定市長も先に三条市で開いた芋煮会に約百人の避難している人が参加したようすを撮影した写真アルバムをプレゼントした。
さっそく店内で「中華そば」を味わった。豊田さんは南相馬市へ戻る直前に三条市で世話になった礼にと、避難先の「ソレイユ三条」で中華そばをふるまったが、現地での味はまた格別。国定市長も「ソレイユ三条」でも味わっているが、「ソレイユで食べたときよりずっとおいしい」と実力を出し切った味に舌鼓。さらに勧められて「もやしそば」も味わった。食事後に店主の豊田さんから花鉢を受けて国定市長はまた涙がこぼれそうに。「頑張ってください」、「必ず三条に来てください」と約束した。
集まった人たちには、今も三条市に避難している人たちのことを「皆さんが思われる以上に三条の冬は過酷なので、それだけが心配」と話し、来年、地元の名物行事、相馬野馬追が「本格的に復活するようであれば三条からみんなで見に来たい」、そして「体に気をつけてすばらしい正月を迎えてください」と呼びかけ、大きな拍手に見送られた。
その後、桜井勝延市長に面会の予定だったが、桜井市長が東北新幹線で青森から地元へ戻るところ、あいにくの強風で一時、新幹線が運転見合わせて大幅に遅れることになっため、村田崇副市長と面会。村田副市長は4月末、副市長に就任したばかりで、それまでは国定市長が平成9年に入省した総務省に同11年に入省した後輩。
国定市長は、芋煮会で三条市内に避難している人たちから桜井市長にあててかいてもらった寄せ書きを村田副市長に託した。直前に訪れた双葉食堂のようすにふれ、「熱烈歓待を受けて正直、戸惑いました」と喜びを表した。
一方、双葉食堂でのようすに、「お顔が伸びやかになっているような感じ」で、当たり前かもしれないが、南相馬に戻ることが「いちばんいいことなんだなあということを半分、嫉妬心みたいな感じで見てました」と国定市長。「我々も精いっぱいのことをさせていただきますので、何なりと言ってください」と話すと村田副市長は「本当にお世話になってばかりで」と恐縮した。
また、双葉食堂の豊田さんから花鉢の名札には「ソレイユ会より」とあったことに国定市長は感激した。三条市に避難している人たちのコミュニティーが南相馬市に戻っても続き、定期的な集まりも開いているようだ。とくに立ち入り禁止の小高区や津波で流された地域の人たちはこれまでの地域のコミュニティーを奪われたが、三条市とのきずなの元で新たなコミュニティーが芽吹いている。