福島県南相馬市で営業を再開した「双葉食堂」を訪れた国定勇人三条市長に一目会って礼を言おうと、かつて三条市に避難していた30人近くが集まった。抜けるような青空が広がったが、東北新幹線が一時、運転を見合わせたほどの強風に見舞われた。
国定市長到着の30分ほど前に双葉食堂に到着。しばらく外に出ていたが、あまりの寒さに車内に戻って国定市長の到着を待ちながら、避難者を乗せた6台のバスが次々と三条市総合福祉センターに到着した3月16日の夜を思い出していた。
氷点下の厳しい冷え込みで、風の強い夜だった。とにかく寒く、バスの到着にあわせて外へ出て写真を撮っただけで、軽い霜焼けになり、手がかゆくなったのを思い出す。
建物の中でバスを待ち、避難者がバスから降り始めるのをガラス越しに確認すると外へ出て写真を撮ったが、バスの到着を待つ間、国定市長の背中に気付いた。国定市長はバスが敷地へ近づくと寒風のなか、コートなどを着ることもなく、外に立って避難者を迎えた。荷物が多く、バスを降りるのにも時間がかかる。どんなに寒かっただろうと思う。
そうしたからと言って誰からもほめられるわけでなく、たとえコートを着ていたとしても、建物の中で避難者を迎えようとも、誰も国定市長を責めなかったはずだ。極端に言えば、出迎えをせず、全員が到着するのを待ってそれからあいさつするだけでも、誰からも何も言われなかっただろう。
どう考えてもそんな損得勘定は国定市長にはなかった。翻って手をかじかませて寒風を避けて取材していた自分が、なんとも情けなく、ばつが悪い思いしたのを覚えている。
そして今回、寒風の中で国定市長を迎えた南相馬市民が映し鏡のように見えた。気温は三条市に到着した日より高く青空だったが、風はあの日よりはるかに強く、集まった年配の人には体にこたえる寒さだった。その中で今度は被災者が次々と国定市長に握手を求め、頭を下げて国定市長に感謝した。国定市長が中華そばを食べて外に出ると、まだ半分以上の人が外に残り、国定市長を見送った。
三条市に避難したときは被災地で1週間も空腹と寒さと戦ったあとで、険しい表情だった。同行して来た南相馬市職員も顔面蒼白というのはこのことかというほど青白い顔をして、疲弊してやつれていた。これから起こることにおびえ、正気を失ったようにも見えるうつろな目をしていた。
被災者が初めて訪れた三条市は深夜の暗闇の中だったが、今回は太平洋沿岸地域の絵の具を塗ったように鮮やかな青い空。南相馬市民は国定市長が嫉妬するほどの穏やかな表情を見せた。津波に流された地域は、がれきの片付けは少しは進んでいるようだったが、復旧、復興はまったくと言えるほど進んでいない。目に付くのは真新しい電柱くらいで、道路を残して何もかも洗われた一帯に連なって立つ電柱が逆に現実離れした世界を強調しているようだった。
福島第一原発の事故の影響がいつまで続くのか、立ち入り禁止になっている小高区にいつ戻れるようになるのか、誰にも見当がつかない。それでも地元へ戻った南相馬市民の笑顔に南相馬市をはじめ被災した地域が復旧、復興の緒に就いたような光明を感じた。