県立三条テクノスクールでは、21日午後1時から同校で第1回三条テクノスクールデザインフォーラムを開き、三条にゆかりの深いインダストリアルデザイナー小杉二郎さん(1915-81)についての「小杉二郎、三条30年間の仕事」などについて聴いた。
フォーラムは2部制で、第1部は「没後30年・インダストリアルデザイナー小杉二郎、三条30年間の仕事」をテーマに小杉さんとともに仕事をした元マルト長谷川工作所相談役で三条鍛冶道場館長の長谷川晴生さん、第2部は「キャノンカメラ旺盛を牽引した製品デザインと商品企画の仕事」をテーマに小杉さんが日本大学芸術学部講師就任時に学生だったキャノン元上席担当部長の長坂亘さんが講演した。
事前に募集した一般18人と同校の工業デザイン科の学生35人が参加。第1部では、まず小杉さんのプロフィールなどを紹介した。東洋工業(今のマツダ)のオート三輪車をはじめ、「R360クーペ」や「キャロル360」などの自動車、蛇の目ミシン工業のミシンをデザインしたことで知られる。昭和27年(1952)に三条市出身で母校図案科の広川松五郎教授のあっせんで三条市特産の金物のデザイン指導に当たることになり、昭和56年(1981)に亡くなるまで約30年間、三条市に通った。
マルト長谷川工作所で長年、小杉さんと働いた長谷川さんは、小杉さんとともに始まったともいえる三条の企業の初期デザインの導入の様子などを話した。
小杉さんとマルト長谷川工作所との関係は、同社の2代目社長が販売の手助けをしてほしいと小杉さんに相談し、マーケティング指導を受けたのが始まり。国内の工業が発展して後発の三条の業界が販路づくりに苦戦するなか、とにかく世の中に知ってもらおうと、小杉さんデザインの「競馬印ペンチ特約店」の看板を全国の問屋に配ったことを紹介した。
昭和40年ころに同社が資生堂の「花椿会」会員30万人への記念品として依頼を受けたニッパー型爪切りをデザイン、さらに復刻版として現在「ネイルニッパークリスタル」の名で販売している。
2か月に1度三条市を訪れていた小杉さんが帰りの列車内で考案した「スナップリングプライヤー」は、坂源精刃、北洋産業の製品とともに三条市初のグッドデザイン賞を受賞した。小杉さんはほかにもダイニチ工業の石油ストーブ・ブルーヒーター、田中衡機工業所のヘルスメーターのデザインも手掛けた。
さらに、長谷川さんは、「先生から教わったことは今でも生かされている」、「とにかく余計なものをつけちゃだめ。肉をそぎ落としなさい。シンプルに」とアドバイス。小杉さんのデザインは「かゆいところに手が届く発想が、いろいろなところに生かされている」など、仕事の話から三条に滞在したときのプライベートな話まで、1時間余り講演し、参加した生徒らは、三条に工業デザインが花開いた時代の歴史の証人の言葉にメモを取りながら聴いていた。