燕市長は職員に対して年末のあいさつを行わず年始のあいさつだけ行うのが慣例になっており、官公庁仕事納めの28日、鈴木力市長はふだん通りに職務をこなした。市では東日本大震災に伴う避難者の受け入れ、プライベートでは母を亡くし、公私ともに忘れることのできない年になった。
年末年始の公務は、元旦に1件だけ。喪中だが、「明けましておめでとうございますとは言えません、とは言えないので」と職員への新年のあいさつはこれまで通りと決めている。静かな年越しとなりそうだが、「お袋の道具の片付けとか、形見分けだとか、いろんなのがまだ残っていて、プライベートとしては相当、忙しい作業がある」。
入退院を繰り返していた母はことし8月14日に亡くなった。父は33年前、三条高校の卒業式の前日、早稲田大学の合格発表も聞かぬまま急逝した。母は鈴木市長とその弟の2人を1人で育てた。
ことし初めに新潟市の病院に入院し、その後、県立吉田病院へ転院。そんな最中に東日本大震災が発生。ことしは金属洋食器製造100周年、大河津分水の可動堰(かどうぜき)完成から80年、分水おいらん道中が70回目、合併5周年とさまざまな節目に当たる年だったが、そのお祝いムードも吹き飛んだ。
プライベートでもいろんなことを抱えながら盆まで過ごした。毎週、庁内ネットワークの掲示板に職員に対するメッセージを書き込みをしているが、それが滞るようになった。「自分自身も集中力を欠いた部分があったかもしれない」と反省する。
市長に就任した昨年は、職員と昼食会などでコミュニケーションをとることに力を入れた。「(ことしは)時間があれば家庭のことに頭がいきがちだった。本当はそれを組織の内部、職員に意識して割いてたのが、個人の部分にいってしまったのが、特殊事情とはいえ、ある意味やむを得ないんだけど、1年目に比べるとそういったところが欠けてしまったな」とも。
来年は市長就任3年目を迎える。「次の年はもういっぺん、職員とコミュニケーションをとることに努めたいと思います」と話した。