三条市やNPOさんじょうなどで構成する三条市ESD協議会は、13日午後7時から燕三条地場産業振興センターで入場無料の「三条まちなかトークライブ」を開き、studio-L代表取締役、コミュニティデザイナーの山崎亮さんを講師に「地域を変えるデザイン」の基調講演、国定三条市長とのトークライブに関連団体などから30歳代前後を中心にまちづくりや中堅社員、ビジネスコンサルティング、さらに市職員など約200人が訪れて大盛況だった。
講師の山崎さんは1973年愛知県生まれのコミュニティデザイナー。(株)Studio-L代表取締役で、まちの課題を、まちに住む人たちの手で解決するための方法を提案する「コミュニティデザイン」で離島、地方自治体、公園、病院などさまざまフィールドで活躍し、昨年5月に放送されたテレビ番組『情熱大陸』や11月の『クローズアップ現代』に出演し、話題を集めている。
この日は先に新潟市で講演し、そこで聴講した人もいたことから、中心市街地の活性化の話をしようかと思っていたが、変更して島根県の海士町(あまちょう)で第四次海士町総合振興計画に取り組んだ話をした。
人口がすでに減り始めている「より人口の少ない所こそが先進事例になる時代がくる」、人口がまだ減っていない都会は「遅れている」し、「参考にならない」。「いち早く人口が減っている所が何してんのかっていうのを把握したもん勝ち」と来場者が目を丸くするような逆転の発想から始めた。
海士町は人口2,326人。2,000人くらいの規模が役場と議会がうまく一致して新しいことが進められる小回りの利く規模で、そこで何が起きているかを考え、三条市なら自治会の規模で何ができるかを考えた方がいいと言う。
海士町は隠岐諸島のひとつ、中ノ島にある。フェリーで4時間の海士町に300人以上のIターンが入り、今が出産ラッシュだが、IターンとUターンと地元居住者の仲が悪いのが課題。町の総合計画を14歳から71歳まで100人が参加し、20人ぐらいのチームを4つつくった。居住歴、男女、年齢の配分が同じくらいになるようにしてチームがに競い合うようにした。
ワークショップは2年間で8回しかやっていないが、ワークショップのやり方を教え、その間に非公式の集まりを40回くらいやったが、ここぞというときは合宿もし、「島の幸福論」というタイトルが決まった。
チームビルディングをかなりやり、自分たちで活動できるようにし、最終報告会「未来への提言」というプレゼンテーションも行った。
「人口減少社会のなかで本当に金と物がいっぱいほしいのか。二十世紀の後半、それをやってきたけど東京、大阪の人たちは本当に幸せなの?。鬱病の割合がどんどん増えていってる。どういうことなんだろう」、隣りの部屋に亡くなって3カ月も気付かれないおじいちゃんがいて、「そんな暮らししたくて僕らは幸福を追求してきたのかっていうと多分、そうじゃない」と都会の断絶したコミュニティーを否定した。
「海士町ならではの幸福を追求しなきゃいけない。そのために行政は何するかを考えていかなきゃいけないという組み方」で、総合計画は本編『島の幸福論』と別冊『海士町をつくる24の提言』の2冊セットでつくった。本編は住民で枠組みを考え、それを行政ベースに組み替えてどれをどの課が担当するかを示した。
各チームから30個の提案が生まれた。活動に必要な人数を1人、10人、100人、1,000人と分類した。「ひとりでできることはあしたからでもやりましょう。10人でできることはチームで集まってやりましょう。ただ、100人、1,000人が集まらないとできないことは行政と一緒にやったらいいんじゃないかと。ただ、何でもかんでも行政に頼むのはやめてください」と住民に説明した。
つまり「プライベートからパブリックまでの間をスケールをいろいろ変化させるコモンの領域が自由に行き来するということ」だが、それをかみ砕いて表現し、理解を求めた。
そこから「炭焼きクラブ鎮竹林」、「おさそいやさん」、「水の調査」、住民が運営する趣味を生かした交流の場づくり「海士人宿」などのプロジェクトが生まれた。
しかし、高校だけは必要だろうと残し、海士町の高校へ留学してもらう「島留学」を提唱。受験生を落とさなければならないほど受験生が集まった。
集落をケアするため、総務省の集落支援員精度を使い、集落支援員6人と山崎さんのスタッフ1人の7人で1人が2つの集落を見ている。
「全国に先駆けて高齢化率が高い場所。全国が超高齢社会に入った、それより20年前に島根県が超高齢社会に入ったときにさらに10年先に海士町は超高齢社会に入ってますから、相当進んでいるということ。海士町の支援員が全国に対してモデルを出すことができれば全国が助かるということ。あなたたちは非常に重要な役割を担っている」と集落支援員にその重要性を説いた。
「総務省のお金なんていつまで続くかわかんないんで、自立させなきゃいけない」。そこで、「集落支援員は、集落支援の仕事しながら企業の準備をしてください」と言った。全員が古物商の免許を取り、もらってきた古道具をきれいにして売る「集プロジェクト」をやってる。
「僕らの時代は高度成長期とは違う」。「高度成長期やバブルの時代は、税収がどんどん増えたから、あたかも公共事業ってのは行政が全部できるものと思っちゃったんですね。そういう時代に生まれちゃったんです」と分析する。
ところが本来は違う。「パブリックはプライベートから成り立ってます。つまり市民の民の力を集めて公共的なプロジェクトをやるべきで、その一部に地方公共団体が入っている」。生産年齢人口が減り、税収が減るこれからの時代は、行政も全部、公共的な事業を自分でやるという風に言わない方がいいですね。ちょっと横にずらして税金以外の力で公共的な事業を支えないといけない」。
そこで大切になるのが、「住民がやりたいって思うことと、行政なり、町がやってほしいと思うことに、うまく一致できているかどうか。住民のモチベーション、やる気をちゃんとマネージメントできるような内容になっているかどうかが大事」。
「住民の側からみれば、わたしがやりたいことをやってほしいし、わたしができることをやんなきゃいけない、そして社会が求めていることも重ね合わせたところで企画を練らないと自分がやりたいことと、人がやってほしいことだけをやってると趣味だったり、労働だったり、夢だったりしちゃいます」、「皆さんが何をしたいのかを組み合わせてプロジェクトを起こしていく。そうすると2、3年やるとチームができあがる」。
「今まで知り合いじゃなかった人たちが知り合いになっていく、このきっかけを僕らはつくりたいんですね。別に総合計画がつくりたいわけじゃない。総合計画をネタにして集まってくれた人と人の人間関係がつくりたいわけですね。弱ーい関係です。家族とも違う。会社の人とも違う人間関係。ウィーク・タイズ、弱いつながりはレンジが広い。だからちょっとした相談もできる」と種明かし。家族や会社で話せないことがこのチームなら話せる。その弱いつながりをたくさんつくることが、社会の包摂力を高めるひとつの有効な手段というわけだ。
「コミュニティーデザインは、結果的には何か物を作るわけではないですけれども、そこで主体的に活動しようと思う人たちの気持ちであったり、あるいはこの人のつながりをどうつくっていくかということが仕事のなかでいちばん大切なこと」と話して講演を終わり、トークライブに移った。