鍛治町、古城町、上町、大町。と聞いて懐かしいと感じる三条市民は何歳くらいから上なのだろう。三条市の中心地の旧町名だ。燕モンで、社会人になったころにはすでに現行の住居表示に変わっていたと思うが、それでも懐かしさを感じる。もちろん今でも「本町」ではなく旧町名の方が場所がイメージできるという年配の人は多い。常々、旧町名が失われたのはもったいないと思っていたものの、それを取り戻すことは思いつきもしなかった。ところが「旧町名復活運動」なるものが存在するのを初めて知って驚いた。ちょっとしたアハ体験だ。
ツイッターで三条凧合戦にかかわっている人の「旧町名に戻したらどうか、という意見は皆無なのだろうか。」というつぶやきを目にしたのがきっかけだった。凧合戦の凧組には、「上町組」、「大町組」と旧町名が残る。そのツイートにさっそく何人かが反応し、賛意を示した。
あわせてネットで検索してみた。Wikipediaで「旧町名復活運動」の項目を見つけた。それによると、なんと運動どころか、すでに旧町名の復活に成功した事例があるではないか。石川県金沢市、大分県豊後高田市、長崎県長崎市、埼玉県鴻巣市の4市の復活した旧町名が掲載されている。
町名はその土地の歴史を伝え、そこに暮らす人たちのアイデンティティーを形成する重要な要素のひとつであるはずだ。それが合理化の名の下に住居表示制度によって全国で統一された枠組みにはめ込まれた。名前を奪うような、地域をないがしろにするような行為だが、それが実行できたのも、古い物をどんどん捨て、新しい物を生み出していった右肩上がりの高度成長期だったからだろう。今だったら大反対運動が起こると確信している。
住居表示制度によって整理されたものが、再び旧町名に戻すことによって混乱が生じ、賛否両論あるだろうが、個人的には旧町名の復活に大賛成だ。どういう結論が出るかはさておき、議論すること自体が地域やコミュニティーのあり方を見つめ直す契機になるのではないだろうか、と提案してみる。