燕のご当地映画『アノソラノアオ』を制作する「はばたけ燕実行委員会」(委員長・細川哲夫燕商工会議所副会頭)は、3月末からの公開を前に10日、燕市文化会館で出演者によるトークショーをまじえた関係者特別有料試写会を開き、約300人が来場して出演者らから生の声で撮影のエピソードを聞いたあと、一足早く作品を鑑賞した。
トークショーを前に実行委員長の細川燕商議所副会頭と実行委員会の発起人でもある鈴木力市長があいさつ。細川副会頭は一昨年に映画制作の話しがあってからこれまでの経緯、支援者の募集、作品のあらすじなどを紹介し、「燕市の風景がふんだんに入っており、楽しんでご覧いただれば」と話すとともに、地方からの情報発信、地域力が叫ばれる今、「この時期にこういう地元を題材にした映画が作られたといことは、非常に時機にかなったこと」と評価した。
鈴木市長は昨年暮れに完成版より20分ほど上映時間が長い初号試写を鑑賞している。初号試写ではわずか1、2秒ながら吉田庁舎で鈴木市長が住民課長として出演シーンがあった。完成版でもその部分がカットされていないと監督に聞き、「ちょっとほっとしてるところ」と笑わせた。
トークショーでは出演者から「燕市そのものにどのような印象をおもちになったか」を聞いてみたいと言い、作品は「燕の風景が満載の、ある意味、燕市そのものが主人公というような映画」で、全国の人や燕市民で愛される映画になってほしいと期待した。
昨年は1月の制作発表後に東日本大震災が発生し、制作の続行が心配されたが、実行委員会から「こういうときだからこそ、この映画をつくるんだ、サポートしようじゃないか」という熱意があったことも紹介した。
トークショーは新潟テレビ21の大島直子アナウンサーが司会し、主人公の中山麻聖さんとその父役の三田村邦彦さん、母役の相沢まきさん、そして地元とオーディションで選ばれたヒロインの納谷美咲さん、ナシモトタオ監督が出演した。
三田村さんと中山さんは実の親子でもあり、これが初共演。中山さんは心配もあったが、カメラの前に立つと「そこにはもう三田村邦彦はいっさいいなくて、陽介(中山さんが演じた役)の父がそこにいてくれるので、自分もその世界にすーっと難なく入っているいけることができ」、「芝居をすることなく」映画での親子の関係性が築けたと話した。
三田村さんは新発田市出身で、相沢さんが出身を新潟市と強調したことに「敵意を感じました」に会場は爆笑。話を元に戻して「多分、親子(の役)じゃなくてもやりやすかった」、映画撮影後にNHKの大河ドラマでも共演し、「それもすごくやりやすかった」。
初対面の俳優同士のように相手を探りながらやる必要がなかったと言い、それに対して中山さんは「全部、見透かされているってこと」と突っ込むと、三田村さんは目の動きや表情で何を考えて何をしようとしているかわかり、中山さんは照れくさいんじゃないかと心配したが、「そこはやっぱりプロでしたね」と我が子を持ち上げた。
三田村さんから中山さんにアドバイスすることはなかったが、撮影中に三田村さんの顔をちらっと見るとうなづいていることもあり、中山さんから三田村さんにアドバイスを求めることもあった。
三田村さんの役は研磨職人。仕事場での撮影は洋食器ブランド「ラッキーウッド」を製造する燕市・小林工業の工場で行われたが、撮影の半年ほど前にホームセンターで配布されている雑誌の取材で同社を訪れ、研磨を体験した経験が今回の演技に役立った。
相沢さんは、燕は「ラーメンのイメージ」で、撮影に使われた「杭州飯店さんの背脂たっぷりのラーメンがすごく好き」。新潟のラーメンの熱が東京に伝わらなくて残念と言い、三田村さんも新潟の人は遠慮深く、「もっとアピールしたら」と指摘した。
納谷さんも「ラーメンは食べてます」と言えば、ナシモト監督は納谷さんは杭州飯店に行くと「ラーメンだけじゃなくチャーハンも一緒に食べて、ひとりで全部食べるんですよ」と突っ込んだ。
納谷さんは応募の動機について、知り合いの紹介で「本当はその中に出る鉄魔神が作りたくて、監督にそれ作らせてくれって」。鉄魔神は映画の中でも象徴的な存在として扱われる金属を溶接して作る人形。納谷さんは溶接の仕事に就いた経験があり、オーディションにも自分が溶接したものを持ち込んだ。
ナシモト監督はそこが採用の決め手となったと言い、オーディションは「容姿だけじゃないんです」に、相沢さんは「ちょっとちょっとって言ってもいいとこですよ」と納谷さんに援護射撃した。
中山さんは三田村さんが新潟に実家があるので新潟県は何度も訪れているが、燕市を訪れたのは初めて。東京では人が集まって撮影が困難になることがあるが、燕では騒ぎにならず、逆に協力してもらい、迷惑をかけたくらいと感謝した。
その後も方言の話や撮影中のエピソードに、ナシモト監督もロケハン、撮影を通して「もう一度、燕と出会い直したというか、自分で発見し直せたいい絵を撮れた」と満足した。
映画の構想のきっかになったのは、2004年の7・13水害。ナシモト監督は、中心的な被災地となった隣りの三条市と比べて燕市はそれほど被害がなく、対岸の火事のような感じがあったが、そこで身近な人たちがいろんなものを喪失し、そこから立ち上がっていく姿を見ていた。
東日本大震災では、同様のことが全国規模で起こっている。「日常を一生懸命に生き、自分のできることを一個一個やっていこうねということを言い合える、寄り添え合える地域であると、僕は燕を思っています」。それを出演者が素晴らしい演技で代弁してくれ、「燕の日常のある部分、こんな人たちいるかもね、と思えるようなものができたと思う」と誇った。
最後に鑑賞に訪れた地元キャストも交えて約30人でステージで記念撮影し、試写会に移った。映画は3月31日から「ユーロスペース」=東京都区渋谷区=を皮切り全国ロードショーがスタートする。