28日明け方に入院先で病状が急変して亡くなった燕市の副市長、菊地剛さんは数日前に見舞った人もとくにやせてもおらず、元気そうな姿を見ていただけに、突然の訃報に驚いた。
菊地さんは閉塞性黄疸で15日に手術を受けたてしばらくは安定した様子だったが、病状が悪化して再手術も受けたようだ。
生前は野球が好きで、昨年も地元分水地区の朝野球に出場してプレーしていた。酒も強く、酔っ払ったようなようすを見たこともないというほど。菊地さんを良く知る人ほどショックは大きく、「がっくりした」と話す同世代の職員もいた。鈴木力市長のコメント、菊地さんの略歴は次の通り。
【鈴木市長コメント】
菊地副市長の突然の悲報に接し、大きな驚きと深い悲しみを禁じえません。
先日、お見舞いに伺った時はお元気そうで、近々の復帰を心待ちにしていただけに、ただただ残念でなりません。
菊地副市長が残されたこれまでの功績に対し、心より感謝いたしますとともに、安らかなるご冥福をお祈り申し上げます。
昭和47年 3月 | 三条商業高校を卒業 |
昭和47年 4月 1日 | 分水町役場採用 |
平成5年 4月 1日 | 商工課商工係長 |
平成6年 4月 1日 | 産業課商工観光係長 |
平成10年 4月 1日 | 総務課財政係長 |
平成12年 4月 1日 | 企画調整課長 |
平成16年 4月 1日 | 総務課長 |
平成18年 3月20日 | 燕市役所・企画調整部長 |
平成21年 6月 1日 | 総務部長・企画調整部長 |
平成21年8月 1日 | 総務部長 |
平成22年10月 1日 | 副市長就任 |