28日に入院先で急逝した燕市副市長の菊地剛さん=燕市分水旭町1=の通夜が30日、燕市・セレモニーホール飛燕で行われた。約600人が参列して58歳の早すぎる死を悼んだ。
菊地さんはことし2月8日に体調不良で検査入院し、25日に閉塞性黄疸と診断され、いったん職場復帰してから3月15日に手術を受けた。術後の経過は良好だったが、容体が急変して28日午前5時に亡くなった。
菊地さんは三条商業高校を卒業、分水町役場に採用された。平成18年の燕市合併で燕市職員に。鈴木力市長が一昨年4月23日市長に就任してから5カ月余りたった10月1日に総務部長を退職して副市長に就いていた。
通夜には分水町役場時代からの後輩も多く、約600人が参列。読経とともにすぐに焼香が始まったが、読経が終わっても焼香はやっと半分余りが終わったところで、いつになっても終わらない焼香に前列の人は後を振り返って参列者の多さに驚いていた。この日は気温が20度近くまで上がったこともあるが、人いきれで室温が上がり、冷房を入れることもあった。
鈴木市長が弔辞を述べた。鈴木市長は菊地さんに副市長就任を求めたころを振り返った。
鈴木市長は外部から市長に就いたので、職員を統率するために「最初から副市長は内部登用で」と決めていた。職員の働きぶりを見て菊地さんが「適任であると確信」したが、菊地さんからは持病や体力に自信がないことを理由に、最初は色良い返事をもらえず、6月議会での副市長人事の提案をあきらめた。
しかし「劉備玄徳(りゅうびげんとく)が三顧の礼をもって軍師・諸葛孔明(しょかつこうめい)を得たように」、その後も一緒にやっていけるパートナーとして納得してもらえるよう努め、9月議会前に承諾を得ることができ、「大きな右腕を得ることかできたと心から喜びました」。
さまざまな事業や市役所改革を思う通りにできたのも、「菊地さんが間に入り緩衝役を務めてくださっていたから」。いよいよ本格的なまちづくりに遭進しようとする矢先に菊地さんを失い、「ただただ残念で、残念で、残念でなりません」。
そして「菊地さん、教えてください。もしも、副市長という激務が菊地さんの命を早めたのだとしたら。もしも、持病があると固辞していたあなたが若輩者の私のために無理を押してくださっていたのだとしたら、本当に申し訳ないことをしてしまいました。ご家族のみなさんに、どのようにお詫びを申し上げたらよいのでしょうか…」と自身を責め、声を震わせ、参列者からもおえつがもれた。
菊地さんに「私はあなたにどれだけ助けられ、勇気づけられたことか。この場でいくら感謝しても感謝しきれるものではありません」と感謝する一方、「あなたという大きな支柱を失いました。あまりにも大きな存在だったがゆえに、そのショックは計り知れない」。
「あなたが残してくださった多くの功績を礎に、その志を引き継いで、私たちは今後も燕市発展のために全力を尽くしていくことを、ここに謹んでお誓い申し上げます。どうか天国から見守っていてください」と願った。
葬儀委員長を務めた分水町役場で菊地さんの先輩だった小林清前市長はあいさつで、菊地さんとは「菊さん、菊さんと愛称で長い付き合いをさせてもらいました」と言い、「本当に市長さんからのご弔辞ありがたく喜んでおります。その通りの大変、すばらしい菊さんです」。合併では「菊さんのもてる力を発揮」し、「この功績はまさに菊さんの功績」とたたえた。
鈴木市長は喪主を務める菊地さんの長男、拓さんに感謝状を贈った。拓さんは「8人家族の大黒柱として一生懸命、家族を支えてくれました。父がいなくなった今、見えない頑張りを常々、痛感してきているところでございます。また、父は仕事が大好きで、常に仕事を優先してきた背中をずっと見てきました。生涯現役をまっとうした父の人生そのものを子どもとして誇りに思います」と述べ参列者に感謝した。
菊地さんは野球好きで知られるが、音楽も好きで、会場にはエリック・クラプトンが息子の死を悼んでつくった「ティアーズ・イン・ヘブン」が流れていた。31日は午前10時から同所で告別式、11時出棺。鈴木市長の弔辞の全文は次の通り。
弔辞
故燕市副市長菊地剛さんのご霊前に、謹んで哀悼の言葉を申し上げます。菊地さん、あなたの突然の計報に接し、言いようのない驚きで、ただただ荘然とするばかりです。かならず元気な姿で復帰されるものと信じていた燕市役所の職員全員が、私と同じ思いのはずです。
三月二十二日、燕市議会三月定例会が終了したあと、その報告を兼ねて、私が病院にお見舞いに伺ったときは、あんなに元気だったじゃないですか。手術の経過も順調で、快方に向かわれているとお聞きし、退院はいつ頃になりそうかな、などと談笑したばかりだったにもかかわらず、このたびの悲しいお知らせ。私は未だに信じることができません。
永年苦楽を共にしてこられた奥様をはじめ、ご遺族のみなさまにとっては、今、私以上に深い悲しみの中にいらっしゃるものと存じます。心よりお悔みと哀悼の意を申し上げます。
菊地さん。あなたは、昭和四十七年四月、旧分水町役場に奉職され、商工観光課商工係長、総務課財政係長などを歴任されたのち、平成十二年四月から企画調整課長、平成十六年四月からは総務課長として旧分水町発展のためにご尽力されました。
特に、合併に際しましては、燕・吉田・分水合併協議会の幹事会メンバーとして連日連夜、精力的に検討・協議を重ね、新・燕市誕生に大きく貢献されたと伺っております。
平成十八年三月の合併後は、企画調整部長として、燕市総合計画の策定に際し、「まちづくり住民会議」(百人委員会)を立ち上げ、市民と行政との協働によるまちづくりの手法を取り入れるなど、卓越した行政手腕を発揮したことは、現在の「燕市まちづくり基本条例」の基礎となっております。
平成二十二年四月二十三日、私が燕市長に就任したとき、大きな課題のひとつが副市長の人選でした。外部から来た私としては、職員を統率していくため、最初から副市長は内部登用でいきたいと決めていました。
そして、一カ月ほど市職員の働きぶりを見た私は、温厚実直で職員からの信頼が厚く、誰に対しても誠心誠意、公平無私で接する菊地総務部長が適任であると確信しました。
私は六月議会を前に、あなたに副市長を引き受けてほしいとお願いしましたよね。しかし、あなたからは持病があり体力的に自信がないことなどを理由に、最初は色良い返事をいただけませんでした。
たしかに私自身がどのような人間かよくご理解いただいていない段階で、いくら女房役をお願いしたいと言っても、ご了解いただけないのは無理もないことと思い、六月議会での副市長人事の提案をあきらめました。
しかし、かの劉備玄徳が三顧の礼をもって軍師・諸葛孔明を得たように、私はその後もあなたと何度か話し合い、私なりに精一杯、燕市発展のために取り組む姿を示すことで、あなたから一緒にやっていけるパートナーとしてご納得いただけるよう努めてきました。
その甲斐があったのでしょうか、九月議会前に、あなたから副市長を引き受けてくださるという返事をいただいたときは、大きな右腕を得ることかできたと心から喜びました。その時の嬉しさは今でもはっきり覚えています。
その後、市議会の承認を得て、平成二十二年十月から約一年半、あなたと二人三脚で、子どもたちが夢と誇りを持てる「日本一輝いているまち」燕市を目指して取り組んでまいりました。
この間、私としては市役所改革のために必要であるとの思いから、様々な注文を職員に出してきましたが、毎日のように課題や宿題を与えられ、きっと職員からは戸惑いや悩みの訴え、さらには外部からの不満の声もあったのではないでしょうか。
しかし、それにもかかわらず私が思う通りにやらせていただけたのは、おそらく、菊地さんが間に入り緩衝役を務めてくださっていたからだと思っています。
おかげで、最近では職員から積極的な提案が出るようになってきました。平成二十四年度当初予算編成は、これまでにない仕上がりだったと思います。ヤクルトスワローズとの連携事業は、燕市の新たなイメージアップの可能性を拓いてくれました。先日は、「つばめっ子かるた」が完成、メガソーラー発電所の設置も実現性が見えてきました。あなた自身も大変ご苦労された新庁舎建設についても、来年の今頃には完了しているはずです。
このように、新生燕市がようやく軌道にのり、いよいよ本格的なまちづくりに遭進していこうという矢先に、あなたを失うことは、ただただ残念で、残念で、残念でなりません。
菊地さん、教えてください。もしも、副市長という激務が菊地さんの命を早めたのだとしたら。もしも、持病があると固辞していたあなたが若輩者の私のために無理を押してくださっていたのだとしたら、本当に申し訳ないことをしてしまいました。ご家族のみなさんに、どのようにお詫びを申し上げたらよいのでしょうか…。
菊地さん、これまで人間味あふれるお人柄で私をサポートしてくださり、本当にありがとうございました。私はあなたにどれだけ助けられ、勇気づけられたことか。この場でいくら感謝しても感謝しきれるものではありません。
燕市役所は、あなたという大きな支柱を失いました。あまりにも大きな存在だったがゆえに、そのショックは計り知れないものがあります。
しかし、いつまでも悲しんでばかりいたら、きっとあなたから怒られるでしょうね。
「天は乗り越えられる者にしか試練を与えない」と聞いたことがあります。菊地副市長のご逝去は、我々に課された大きな試練ですが、私を先頭に職員一丸となってこれを乗り越え、再び日本一輝くまち燕市を目指して歩み始めたいと思います。
「菊地さん。あなたが残してくださった多くの功績を礎に、その志を引き継いで、私たちは今後も燕市発展のために全力を尽くしていくことを、ここに謹んでお誓い申し上げます。どうか天国から見守っていてください。
結びに、あらためて故菊地剛副市長のご生前の偉業をたたえるとともに、安らかなご冥福とご遺族のご多幸を心からお祈り申し上げ、お別れの言葉といたします。菊地さん、ありがとう。そして、さようなら。
平成二十四年三月三十日 燕市長 鈴木力