国文化審議会は20日、越後長野温泉「嵐渓荘」(大竹啓五社長・三条市長野)の移築された昭和初期の木造3階建て「嵐渓荘緑風館」を国登録有形文化財に登録するよう文部科学大臣に答申した。
三条市内では、2009年に三条市歴史民俗産業資料館(旧武徳殿)1件、2011年に三条市水道局大崎浄水場の建造物12件が登録国登録有形文化財に登録されており、嵐渓荘緑風館は14件目で、民間所有の建造物では市内で初めての登録となる。登録は官報告示で正式に決まる。
嵐渓荘緑風館は嵐渓荘正面側の部分で、木造3階建ての入母屋造桟瓦葺き(さんかわらぶき)、建築面積140平方メートル。屋根部分に登庁的案望楼(ぼうろう)を載せる。昭和8年(1933)ころ、燕市・燕駅前に建築された小川屋旅館の建物を同30年(1955)ころに移築したもの。登録は官報告示をもって正式決定となる。
この答申を意外なところで喜んでいるのが、有限会社マルダイ=大竹賢一社長・三条市猪子場新田=だ。同社がノートパソコンやゲーム機のアルミ製冷却台「アルミ製すのこ」を販売しているオンラインショップのトップページに嵐渓荘が登場する。
「アルミ製すのこ」のキャラクター「すのこタン。」のイラストが描かれているが、その背景が雪の積もった嵐渓荘だ。同社はトップページの背景をご当地もののイラストで更新しており、これまで、はざ木、下田地区の八木ヶ鼻、加茂市の加茂農林高校などをデザインしている。
嵐渓荘のイラストは、たまたま同姓だが、マルダイの大竹社長から嵐渓荘の大竹社長に使用を頼み、快諾を得てことし2月からトップページを飾っている。マルダイの大竹社長は、国登録有形文化財への登録に「きっと『すのこたん。』も喜んでくれますよ」と話している。長岡造形大学の平山育男教授による「嵐渓荘緑風館概要」は次の通り。
嵐渓荘緑風館概要
長岡造形大学平山育男
沿革
嵐渓荘は、三条市長野に位置する温泉旅館の一軒宿である。大竹保吉が大正時代末、夢のお告げからこの地に鉱泉を掘り当て、昭和2(1927)年に湯治場を開いたのが始まりという。
立地
長野温泉は下田地区を東西に縦断する国道289号を名勝八木ヶ鼻で分岐し守門登山口ヘ向かう県道183号線沿の守門川右岸に位置する。旅館の送迎は対岸となる左岸の旧県道で車を降り、吊り橋を渡って旅館へたどり着く趣向となる。敷地は川沿いの長さ150m、幅100m程で、建物群は上流の南側を正面として建つ。旅館の建物は本館となる緑風館のほか、新館の渓流館、宴会揚、外湯などから構成される。
概要
緑風館の規模は木造3階建で総間口は9間半、奥行5間半となる。建働は棟位置を前後にずらし東棟が西棟より1間前にあり、両者の中央正面に角屋となる中央棟を配する。いずれも入母屋造桟瓦葺で、西棟と中央棟角に1間四方の鉄板葺望楼が載る。なお、外観南側は簓子下見板張、西棟西側壁は簓子を打たないドイツ下見とする。
平面は玄関が鉄板葺入母屋造妻入で東棟南側に付く。1階東棟部分は玄関、売店、階段、中央棟部分はロビー、フロント、西棟部分にラウンジが配されて背面の嵐渓館へ接続する。2階は東側の階段から上ると東棟に15帖「嵐渓」、中央棟に10帖の「阡蒼」が続座敷となる。西棟は6帖「若草」、8帖「干草」が続き座敷で、各部屋南側と「阡蒼」西側に4尺巾の廊下を配する。9階は東棟が10帖「菊」で、裏側に2帖の控えの間を持つ。中央棟が8帖と6帖の続座敷を1室とした「蔦」、西棟は6帖「紫藤」、8帖「白藤」として、「蔦」酉側と「紫藤」「白藤」南側を4尺の廊下とする。望楼へは「紫藤」東側の廊下から梯子により昇り、部屋は四方に嵌め殺しのガラス窓を開く。構造は小屋組が京呂組の和小屋組で、主要な隅部に火打梁を配する。
緑風館は燕駅前にあった小川屋旅館の建物を移築したものである。小川屋はもともと明治時代、新潟との蒸気船により開かれた中ノロ川燕の河港に業を興したが、昭和8(1933)年頃、新潟電鉄の開業に伴って燕駅前へ移って新たに建物を建てえという。しかし、これも昭和28(1953)年頃に営業をやめ、建物を長野の地に昭和29(1955)年頃移した緑風館という。即ち建物の創建は昭和8(1933)年頃の昭和時代初期といえる。
燕駅前における小川屋旅館は古写真に数々残されている。これらによれば所在地は燕駅前南側60m程の場所であった。燕駅前の小川屋旅館と現状の緑風館を比較すると両者はよく類似するが、詳細では相違が数々確認される。玄関は現状で東棟南側に取り付くが、古写真を見ると同形式のものは現在の西棟正面に取り付く。小川屋時代ここが駅からは最も近く適した位置であったようだ。また東棟3階下屋は、古写真に見ることはできない。聞きとりでは平成17(2005)年頃の増築とされる。平面では1階は移築以後に大きく改造を受けた。現在、西棟ラウンジ「ひめさゆり」は天井がこの部分だけ周囲と異なり、長押が西側に残る。聞取りによればこの部分はかつて「梅」の間とする客室があり、裏側は物置であったという。そして旧「梅」の間東側が廊下で、傍らに階段、便所であったが、背面の嵐渓館増築に伴い撤去を受けたようだ。中央棟ロビーはかつて応接室として用いられた。2階は大きな改造は少ないが、3階は「菊」の間が最近改造を受けた。
総括
嵐渓荘緑風館は、燕駅前に昭和時代初期の昭和8(1933)年頃建築され、当初の姿をよく残しながら昭和30(1955)年頃、現在地へ移されたものである。この物件は登録文化財登録基準(平成8年文部省告示第152号)の「一、国土の歴史的景観に寄与しているもの」に該当すると考えるものである。