三条市名誉市民で大漢和辞典を編纂した漢学者、諸橋轍次(1883−1982)の生家を中心に建設されてからことしで20年になる漢学の里「諸橋轍次記念館」=三条市庭月=が22日、リニューアルオープンした。初日はリニューアルオープン式と記念講演会が行われ、リニューアルにあわせて記念館に水墨画を寄付した中国駐新潟総領事館の王華総領事や諸橋轍次の三男、諸橋晋六さん(89)も出席してリニューアルを祝った。
あいさつで国定勇人三条市長は、記念館建設の経緯や諸橋轍次の偉業を紹介し、「博士は漢学界の最高峰としてたたえられ、大漢和辞典を頂点とする前人未踏の多くの業績を収められました」、「今もなお人々に深く敬愛され、その計り知れないご遺徳、ご功績は大きな励ましとなってわたしたち市民の心に永遠に生き続けております」。
記念館を拠点に下田地域のもつ資源を活用した自然体験などの着地型観光プログラムの開発に取り組み、「下田地域の潜在的な魅力を引き出していきたい」、さらに日中の「文化と友好をさらに深める拠点として発展させていきたい」と願った。
王華総領事は、記念館で行われた漢詩大会に参加したことや記念館で講演したことにふれ、リニューアルにあわせた水墨画などの寄付について紹介。諸橋轍次は中国の文化人と交流を深め、「近代、中日文化交流における先駆者」と評した。
東京中国文化センターとともにこの日から記念館で日中国交正常化40周年記念パネル展を開くことも紹介。田中角栄のふるさとでもある新潟は「中日国交正常化に大きく貢献をされた」。水墨画に続いて中国風流觴曲水座石(りゅうしょうきょくすいざせき)と中国風東屋も寄付し、「これら中国国民の友情の証として、また中日友好の永遠の象徴」となり、記念館が三条市と新潟県内の「中日文化交流におけるひとつの重要な拠点」となるよう望んだ。
諸橋晋六さんは、「百年の生涯を学問一筋に捧げて多くの皆々さまに言ってみれば徳育の向上することを心から念願しておりました父、諸橋轍次にとりましては、きょうは本当に大変ありがたい誠に喜ばしい日」。日中国交正常化40周年であり、「これまた深く中国を良く理解し、そして中国の文化を大変、尊び、そして中国の人々を大変、敬愛しておりました父にとりましては、まさに望外の二重の喜びであると思っております」と礼を述べた。
リニューアルを機に「この記念館から漢字文化の復興と申しましょうか、そしてひいては東洋の文化の新たなる開花、いうようなものにつながっていけば」と礼を述べ、感謝の言葉を尽くした。
菊田真紀子衆院議員は戦後補償の問題、米国や台湾との関係などさまざまな問題があった40年前に、21世紀の日本と中国がアジアのリーダーとして共にふさわしい発展を求めていこうと周恩来首相と田中角栄首相が日中国交正常化の政治決断を成し遂げた歴史を紹介。今も日中にはさまざまな問題が横たわるが、「私たちはこの先人の大きな思い、大局的な判断をしっかりと受け止めて両国の関係をもっとともさらに強固なものにしていかなければならない」という決意を示した。「私も国政の場でこのすばらしい記念館がもっと輝く記念館になるように努力さていただく」と誓った。
高井盛雄県教育委員会教育長は自身も下田地区、濁沢の出身。母方の祖父は、諸橋轍次と親交があり、そのことを「終生、誇りに思っておられました」。「幼いころ、囲炉裏端でですね、ひざに抱かれまして博士のお手紙、あるいは、はがきを読んでいただいたということで、郷土にこんなにすばらしい偉人がいらっしゃるんだということを繰り返し、繰り返し、お聞きしてきたわけでございます」。自身も教育長を拝命して初めて出た席がこの式で、「大変、ご縁を感じまして、またお招きいただきましたことを感謝申し上げます」。
文化と日中交流の拠点として果たす役割はこれからますます大きくなり、今回のリニューアルは「誠に時機を得たもの」で、日中の交流のみならず、「地域の文化を大切にする心を育んでもらおうと思っている」、子どもたちが学び、誇りをもってくれるよう願った。仕事場に大漢和辞典があり、博士の教えを本県の子どもたちに生かそうという決意も新たにしているとした。
下村喜作市議会議長は、「(記念館は)一年を通じて漢字にまつわる各種事業を実施されており、リニューアルはこれからの事業とあわせて来館者の漢字に対する学びの欲求に十分に答えるものと確信しております」と喜んだ。
王華総領事から水墨画の目録を贈呈したあと、ふたりと水墨画を描いた日本にゆかりの作家、里燕(り・えん)さんの3人がロープ引いて除幕。記念館を入って正面奥、諸橋轍次の胸像の後に縦2メートル、横4.6メートルの大作「雲海」が姿をあらわした。題名通り雲海が広がって所々に山の頂が顔をのぞかせるスケール感あふれる雄大な作品に拍手がわいた。
里燕さんは、大漢和辞典完成までの道のりは「中国の山々のように険しかったでしょう」、それでも完成することができたのは、「博士自身が大好きだった中国の雲海のように深く包み込むような情熱があったからこそと私は感じます」、「その情熱を表現したい」と思って雲海をモチーフにした制作意図を話し、「記念館を訪れる人に作品を通して少しでも諸橋博士の心にあった風景、博士の情熱の一片を感じていただければ」と願い、閉式した。
続いてテープカットを行って展示室などを見学した。諸橋轍次は99歳まで生きたが、晋六さんもすでに89歳になり、展示物を見ながら「この怖いいとこだった」と言い、すでに歴史になっている人物も晋六さんの心の中には今も息づいている。
中国に留学経験のある国定市長は、市長の立場を抜きしても中国に対する関心が高い。多目的ホールでは日中国交正常化40周年記念パネル展では目を輝かせて見入り、諸橋轍次が中国留学時代に中国の学者、胡適、張元済、蔡元培、黄炎培らとともに写っている記念写真にも興味津々だった。