燕三条青年会議所(五十嵐利行理事長・会員120人)は22日、三条市・ビップ三条で創立15周年記念式典と記念祝賀会を開き、会員やOB、県内の青年会議所や姉妹JCの韓国・ナンプチョンJCなどから合わせて約500人が出席し、「襷(たすき)」をテーマに創立から15周年の節目を盛大に祝った。
ことしは5年刻みの周年の節目だが、燕三条JCから日本青年会議所へ長谷川直哉北陸信越地区協議会会長が出向している年に当たったことや、日本青年会議所の井川直樹会頭を迎えたことから10年刻みの式典に匹敵する大きな事業になった。
あいさつする燕三条JCの五十嵐理事長
あいさつで五十嵐会長は行政の地域合併に先駆けて、三条、燕の青年会議所が合併して誕生し、ことし一般社団法人への法人格移行を行ったことを話した。行政が合併をせずとも新幹線駅と高速道路インターチェンジができた。それでも両市は合併し、中核都市を形成することがこの地域の活性化になるという思いで活動してきたが、燕市で行われた住民投票で合併反対が小差で賛成を上回った。
しかし、「そのときの結果を十分に理解したうえで我々、青年会議所は将来、合併に向け、主体的に、そして能動的に活動し続けてまいります。先輩方の志を我々が受け継ぎ、そして次代へ引き継いでまいります」と述べ、先輩から受けた襷は、三条市と燕市の「合併」であることを再確認した。
来賓祝辞で続く国定勇人三条市長は、この瞬間まで何を話そうかと迷ったが、五十嵐理事長の力強いあいさつに「わたしも覚悟を決めました。正面切ってお話を申し上げたいと思います」と意を決したように始めた。
「わたしは直観を信じる人間のひとりであります」。自身の直観でも、この燕三条地域はひとつになるべき。地勢的にも、経済的にも、文化的にも、政策面でも「まったく同一の圏内にあると言っても過言ではない」。
県外では燕三条地域がとっくにひとつの地域になっているという認識で、「自分が三条市長であることの立ち位置を説明に苦しんできた毎日」。合併すべきという直観は「決して間違った歩みではない、方向ではないというふうに今でも信じております」。
それを現実にするには直観だけですまされず、「ここから先はいかにぶれずに直観という信念に従って前に進み続けていくか、その覚悟」にかかっている。燕三条JCが合併の「旗頭になるべく、活動されることを心から応援していきたい」。
「直観が正しければ正しいほど、直観が理想であればあるほど現実の諸勢力、あるいはいろんな方々との間で摩擦が生ずること、これは不可避」だからこそ、直観を信じいかなければならない。それを乗り越える最大の要因は若さで、「青年会議所という立ち位置の良さを大いに活用していただき、諸先輩方から絆として託されてきた、その崇高なる理念の実現に向けてこれから先も幅広く活動していっていただければ」と願い、「近い将来、皆さま方にとって所期の目的が達せられ、そのうえでより良い燕三条地域の発展に貢献ができる、そんな青年会議所になられることを」祈念した。
鈴木力燕市長は、「理事長さん、国定市長さんのお話も踏まえてわたしも今、いろいろこの場で考えながらお話をさせていただきたい」と始めた。市長就任から2年になるが、燕三条JCから合併に対する考えを問われた。市長になる前、合併の議論をしていた当時なら賛成の立場だが、住民投票の後、さらに新しい燕市が合併後では、ただちに三条市との合併は環境が許さない。新燕市の一体感の醸成が優先で、その先に見えてくるものがあるかもしれないと答えた。
逆に燕三条JCに、その前に広くなった燕市を見てほしいと求めたところ、ありがたいことにJC会員がさっそく市内の祭りに参加してくれるようになり、「さすがだと思いました」と喜んだ。
歴代理事長が「襷に汗を染み込ませながらつないできたんだろう」し、自身はその主役には立てないが、「脇のなかで、ひとつの襷をつないでいく行動になるんだろう」と言い、それは「まず燕市内の、燕をひとつにということが、わたくしなりの襷のつなぎ方だろう」とした。
燕市は先にご当地かるた「つばめっ子かるた」を作ったが、燕三条JCに「燕三条カード」などのカードゲームを作る提案も。自身はすでに燕、三条の垣根は取れたと思っている。高校に行っると垣根は低くなるが、「もっと若い世代、もっと小さい世代からですね、垣根がない、そういったことが行われることによって必ず、いずれはその先にゴールが見えてくるのかもしれない」という考えを示した。
これからも燕三条にこだわるという宣言があったが、「これからもこだわり続け、しっかり襷をつないでいっていただきたい」と求めて締めくくった。
日本青年会議所の井川会頭は、「燕三条にこだわって行動する、それをしっかりとプリンシプルとしてもって、今後、20周年、30周年へとその歩みを進めていただきたい」。
長谷川北陸信越地区協議会会長は、出向したことで手前みそだが、「本当にすばらしい地域に立たせていただいていることをあらためて実感させられた」、「日本の生きていく姿の典型、根本がこの地域にある」、「ものづくりの町だからこそ、いちばんつくれたのは人材だったのかな」と言い、「皆さまの期待に応えられる燕三条セイン年会議所であり続けるために、精一杯、力を出していきたい」と述べた。
記念祝賀会では三小相承会の太鼓演奏、OBでもある矢代秀晴 & South Hillsによる燕三条JCも力を貸して生まれた『カレーラーメンの歌』の生演奏もあり、最後も生演奏をバックにJCではお決まりの『若い我ら』で列を組んで進み、にぎやかにフィナーレ。前身の歴代理事長、三条青年会議所の梨本清一元理事長と燕青年会議所の相場紀一元理事長の音頭で一本締めを行って閉会した。