22日行われた燕三条JCの創立15周年記念式典のあいさつは、久しぶりに公の場で三条、燕両市の合併問題が俎上に載った。創立15周年で燕三条JCが掲げたテーマは「襷(たすき)」。まず、五十嵐利行理事長が両市の合併に先駆けてJCが合併したことを話した。創立15周年なら当然、合併問題が先にあったことは、はずせない。文脈からすると、先輩をから受け継いで襷に染め込まれているのは、まぎれもなく「合併」の文字だ。
続く国定勇人三条市長は祝辞で、ためらう様子を見せながら「わたしも覚悟を決めました。正面切ってお話を申し上げたいと思います」。両市が合併をすべきという直観に揺るぎはなく、燕三条JCが合併の旗頭になり、所期の目的が達せられることをと最大限のエールを贈った。
しばらく前に国定市長に合併について意見を聞いた。「あきらめていない」ときっぱりした答えが返ってきた。自身の任期中での実現が念頭にあったのではないにしても、合併を今も現実的なものとしてとらえ、今も合併に向けたプロセスの途中にいるとでもいうような印象だった。祝辞はそれを裏付ける内容だった。ここまでの2人の話は、さながら合併推進総決起大会のようだった。
続く鈴木力燕市長の祝辞。両市長が一緒に呼ばれる席は「先に国定さんの方がしゃべるんです。いつもわたしは彼がしゃべったあと、それと違うことをしゃべらなければならない」と会場を笑わせながらも、2人の話を受けて合併について考えを話した。
鈴木燕市長は、これまでも合併については反対ではないものの、合併した新燕市の一体化を図ることが優先で、合併はそれが一定の成果を実らせたのちに議論するという考えを示している。祝辞ではさらに踏み込み、合併の機運の醸成を手助けするのもやぶさかでなく、若い世代から両市の垣根を取り払う必要性も説いた。
翌日、鈴木市長と元燕市議会議長の大山治郎さんが顔を合わせた席でも、創立15周年記念式典が話題になった。大山さんは、燕市で合併の可否を問う住民投票が行われた2003年、「合併賛成に○をつける会議員団」の代表だった。
鈴木燕市長は前日の式典のあいさつを「わなだったのかな」と苦笑したが、別に先にあいさつした人の内容を受けて話す必要はない。合併の話は軽く流した祝辞でも問題はなかったのに、あえて合併関連に時間を割いた。ここは合併に対する自身の考え示す必要があると判断したのだろう。両市長ともガチンコな祝辞だった。
一方、大山さんは燕三条JCという名前を「聞くたびに胸が痛む」と話した。当時、燕商工会議所として、すぐに商工会議所も三条と合併するから青年会議所も合併してほしいと頼んだという。結果的に、はしごを外したような形になったことを悔やんだ。
燕三条JCが合併したのは合併が先にあったからで、合併問題は燕三条JCにとって存在意義にかかわる問題でもある。合併の是非はさておいても、燕三条JCが活動していくうえで合併という視座は欠かせない。その意味でも燕三条JCに限らず、タブーとは言わないまでも避けて通っているような印象があった合併問題を俎上に載せただけで、15周年記念式典は意味があった。
いずれにしろ、かつての三条、燕の市長なら、あらたまった式典の場では、原稿を読み上げる祝辞で終わり、原稿がないなら通りいっぺんの祝辞に終わったはず。それがちょっとした弁論大会、議論の場のような緊張感すら漂うというのがすごい。あちこちで「市長の祝辞がおもしろかった」という声が聞かれ、隔世の感がある。そろそろ合併に関する市長や業界のオープンな議論も聞いてみたい。