6月の燕市民体育館での試合を前に、プロレス団体「プロレスリング・ノア」の秋山準選手と潮崎豪選手が14日、燕市佐渡、特別養護老人ホーム「さわたりの郷」を訪問し、世界を舞台に活躍した「ジャイアント馬場」こと故馬場正平さんと親友だったを同施設を運営する社会福祉法人つばめ福祉会の岡田健一理事長と懇談し、リング以外の馬場さんのエピソードなどを聞いた。
馬場さんは三条市の第一中学校、岡田理事長は旧吉田町の吉田中学校出身で、2人は現在の三条商業高校と新潟県央工業高校の前身の三条実業高校で同級となり、以来、馬場さんが亡くなる1999年まで交流を続けた親友だった。
また、秋山選手(42)は、全日本プロレス出身で、入団のきっかけは馬場さんからのスカウトによるものだった。試合の関係で本県を訪れていた両選手から、大先輩の馬場さんについて話を聞きたいと岡田理事長に依頼があり、午後3時に両選手がさわたりの郷を訪れた。
岡田理事長(75)は、馬場さんについて「決して威張らなかった。常に一歩下がって、にこにこしていた」、「控えめで、決してうそをつかなかった」。
高校時代、体の大きなことを気にしていたという馬場さん。野球やバスケット、卓球部などからの争奪戦があったが、本人は「人に会わないですむから」と最初は美術部に入ったという。
本当は、野球がやりたかったという。足が大きく靴(スパイク)のサイズがなかったことも気にしていたが、馬場さんに野球をやってもらおうと学校が特注の靴を作ってくれたという。馬場さんに靴を渡したときに、「おれのか」と本当にうれしそうな顔をしたことは忘れられないと岡田理事長。
このほかにも、馬場さんから聞いた、がんで亡くなったアナウンサーの逸見政孝さんとのエピソード、地元での興業を前に軽トラックに乗せてあいさつ回りをしたことなどたくさんの思い出を話し、「リングのことはいっさい言わなかった、おごってもらったことも1回もない」と笑った。
秋山選手は、「ここにいられるのは馬場さんのおかげで、感謝しかない」、プロレス業界全体にとってもなお大きな存在と話すと、岡田理事長も「わたしもうれしい」と自分のことのように喜んだ。
懇談の席は、同施設にある高さ209センチの馬場さんの等身大の石膏でできた人形を前にしており、秋山選手は、「ピリッとします」。人形にデザインされた鳳凰のガウンは、特別な時にしか着ないガウンで、秋山選手自身は一度しか見たことがないと話していた。
このあと、両選手は施設内を回り、利用者のお年寄りと握手をしたり笑顔で交流した。燕市体育館での試合は、6月28日午後6時半から開催される。