31日朝、三条市の松永悦男教育長の退任式が行われた。旧三条市時代の平成13年12月の就任から10年6か月にわたって三条市の教育行政を支え続けた松永教育長は、「連携こそ道を開く」、「争っていては三条市のためにならない」とあいさつで市の発展を願い、大勢の職員に見送られて市役所をあとにした。
午前8時40分からの退任式を前に、8時半から市役所三条庁舎の市長室で辞令交付式。国定勇人市長は「長きにわたって本当にありがとうございました」と、教育委員会委員の辞職を承認する辞令を松永教育長に手渡した。松永教育著は「ありがとうございました」とあらためて国定市長に礼。国定市長は、と答えた松永教育長に、「きょうという日が来るのを避け続けてきたような気がします」と言い、「感情がこみあげてくるから、空気を換えましょう」と笑顔をつくって退任式に臨んだ。
退任式は、三条庁舎を中心に120人以上の職員が出席。松永教育長はあいさつで、「これまで市長さんはじめ大勢の皆さんから支えていただき、本日までやってこられたことを本当に感謝申し上げたいと思いますし、皆さん方にも心から御礼申し上げます」と始め、任期の途中での退任であり、自身は「老兵は消え去るのみ、静かに身を退くことが私の願い」で、退任式のセレモニーに恐縮した。
平成13年12月6日の教育長に就任から10年半、いろいろなことがあり、児童生徒の問題行動が大きく報道されたり、教職員の不祥事、非違行為などで「世間の皆さんに大変なご迷惑をおかけしたことも数あります」。
2004年の7.13水害では、学校の被害、児童生徒に与える影響などの対応に苦慮し、昨夏の水害でも学校施設に大きな被害があった。05年には合併した新三条市の教育基本方針を策定。その基本方針に基いて設置した教育制度等検討委員会から小中一貫教育導入をはじめ三条市の子どもたちの健やかな成長を願う提言を受けた。
それを受け、三条市教育委員会では小中一貫教育基本方針を策定し、理事者の意見を頂きながらその具現化に向けて一丸となって取り組んでいるところ。「しかしながら私の不徳の致すところ、至らなさ、力不足のため、まだまだ数々の課題を残しているのはご案内の通りでございます」、「その課題を残した中で退任というのは、私自身ひじょうに心苦しく思っていますが、より指導力のある新しい組織の中でそれらの一つひとつを乗りこえていってほしいと願っている」と託した。
また、教育委員会の毎年の年始のあいさつで呼び かけたこととして、「3ションの精神」、「あ行の教え」、「連携の道」について話した。これを職員が実践すれば市民の満足度を高め、市の発展が期待できる。
「3ションの精神」は、ミッション、パッション、アクションの「3ション」のこと。「あ行の教えの実践」は、あいさつ、意欲をもとう、美しい言葉で語り合おう、笑顔で、思いやりをもって人にのぞみましょうの頭文字をとったもの。
ことし掲げた「連携こそ道を開く」は、ひとりで悩んでも課題解決の方策を見い出せないことが多く、そのときは「外部、同寮、上司、他機関、組織協力し、連携しあって活路を見出すことが期待できる」と話した。
三条市が進める小中一貫教育には、教育に携わる教職員が小、中学校の隔たりなく、「9年間三条市の子供たちをみんなで育てるんだという意識を持って教職員の交流や児童生徒との教育交流活動等をやれば、学校が抱える学力の問題始め課題解決のひとつの手段として大いに活用しようじゃありませんか」と応援した。
最も大事なのは、学校、家庭、地域、行政が一体となって連絡し、協力し合い、連携しあうことが子どもの成長に大きく寄与することを忘れず「教育連携をとりあおう、連携こそ道を開くを合言葉にしましょうと呼びかけました」。それが、「争っていては教育の成果はまったく三条市のためにならない」と力を込めた。
最後に、来月で75歳になるが、原因が年齢か病気かはわからないが、確実に体力が衰えており、「少しはあと残ったわずかな余生を自分の時間としてゆっくりと過ごしていきたいと、本日のわがままな退任のお願いになったところ」と胸の内を明かし、「数々の至らないところ、ご迷惑をおかけしたところ、あらためておわびしますとともに、市長さんはじめみなさんが、これまで支えてくださったこと本当に厚く御礼申し上げます」と締めくくった。
これまでを振り返るときには、ゆっくりとかみしめるように静かに話し、後半は力強い声でしっかりと思いを伝える松永教育長の最後の言葉に、市長はじめ職員のなかにも目を赤くする人がいた。
会場を拍手で送られたあと、正面玄関でも大勢の職員に拍手で送られて教育委員会のある栄庁舎に向かった。栄庁舎では前日に退任のあいさつを行っているが、最後のあいさつをして公用車で自宅に向かった。