燕市産業史料館では、6月1日から17日まで「横山操 素描展2〜飛翔のはじまり〜」を開いており、燕市の名誉市民ともなっている旧吉田町出身の日本画家、横山操(1920-73)が10代のころに描いたと思われる素描やデッサン29点を展示している。
横山操は1940年の第12回青龍展に初入選後、シベリア抑留を経て帰国後、豪快な筆致と大胆な構図のダイナミックな作品を次々と発表。1962年に青龍社を脱退後は富士を描いた連作で評判をとったが、1973年に53歳で亡くなった。多摩美大教授も務めた。
横山は戦前の若いころの作品を自らの手で焼却した。実家に残る作品も処分しようと、作品を送り届けるよう実家に連絡したが、実家は作品がなくなったと言って作品を返さなかった。そうした経緯を経て残った作品を横山の親族が2009年、燕市に寄付した。
今回はそのなかから素描とデッサンを展示。いずれも1940年以前、横山が日本画に転校する前の10代のころ描いたと思われる。素描は女性像を描いた作品が中心で、鉛筆のラフなタッチでスケッチブックにさまざまな女性を浮き上がらせる。スケッチはポスターカラーのようなもので描かれている。
「全日本産業観光甲府大博覧会」のポスターと思われるデッサンもおもしろい。同博覧会は1938年(昭和13)に開催予定だったが、その前年に発生した盧溝橋事件に始まる日中戦争で中止になり、横山のデッサンはお蔵入りになった。当時、横山は銀座木挽町で図案社を営む光風会会員の画家、石山雅山(本名・藤助)の内弟子となっているのに符合する。
そこに描かれた日本地図のデザインは朝鮮半島や北方領土も存在。横山のデザインかどうかははっきりしないが、既製のフォントがなかった時代の書体デザインも時代を感じさせる美しいデザインだ。
これまでも同史料館で横山操の作品展が開かれているが、燕市や燕市教育委員会が主催して同史料館の会場を借りる形。今回は同史料館が主催、企画した初めての横山操展で、斉藤優介学芸員は「誰も見たことのない横山操の世界。作品をシンプルに展示して横山操が作風を確立する前の原点を時間を忘れてゆっくり味わってもらえるようにしました」と話している。
3日午後2時から大山治郎コレクション館=燕市井土巻2=の大山治郎館主が「横山操を語る」、17日午後2時から燕市長善館史料館・吉田勝館長が「若き日の操について」をテーマにそれぞれ作品解説会を開く。大山館主は横山の親族から燕市が寄付を受けた作品の修復費用を寄付している。10日から一部展示替えを行う。