三条高校跡地への小中一体校の建設工事に伴い、校舎とグラウンドの間を通っていた市道三高グラウンド線の同部分が4日、切替のため閉鎖された。100年余り前から子どもたちはじめ市民が往来した地域の大切な生活道路だったとして、地元住民が閉鎖式を行って感謝した。
三条高校は市道三高グラウンド線をはさんで北側に校舎、南側にグラウンドと、敷地が南北に分断されていた。そこへ小中一体校を建設するのに伴い、敷地を一体化するために市道三高グラウンド線をグラウンド敷地の南端、JAにいがた南蒲本成寺支店の裏手に新設した自転車歩行者道へ切り替えた。
市道三高グラウンド線は、校舎とグラウンドの間を通って鱈田屋菓子店が面する県道長岡見附三条線側から小師新聞店が面する県道三条停車場線へ一方通行で抜ける道路。そのうち三条高校敷地にはさまれた135.7メートルの区間が閉鎖になった。
その閉鎖を前に4日、地元南四日町一、二丁目自治会と同地区の老人会「熟年いこいの会」が長年、この道路を利用させてもらった感謝の気持ちを込めて閉鎖式を行い、50人余りの住民が参加。閉鎖直前の道路を歩いたあと、一方通行入り口側の閉鎖された工事用安全柵に感謝の気持ちを込めたリースをかけた。
リースは「栄光をたたえて ありがとう 市道三高グラウンド線」と書いたボードの周りを、ゲッケイジュの葉で縁取った。ゲッケイジュは五輪などスポーツで栄光をたたえる月桂冠にも使われることから選んだ。
両自治会の上石貞夫会長によると、この道路は、1902年(明治35)にこの地に生まれた県立新潟中学校三条分校(三条高校の前身)、1903年(明治36年)創立の四日町小学校の通学道路に重宝した。毎日、大勢の子どもたちが歩き、さらに成長し、おとなになって各界で活躍。いわば栄光の道なのだと上石会長は言う。
さらに、1947年(昭和22)の昭和天皇ご巡幸では、大勢の市民が見守るなか、昭和天皇がこの道を歩かれて、グラウンドでお言葉をいただいた。78歳になる上石会長が生まれるずっと先から存在した道には、数え切れない人たちのさまざまな思い出がある。
同会では、平成20年9月の旧三条高校の校舎を取り壊す時にも、感謝の気持ちでゲッケイジュのリースを製作した。今回の閉鎖も、付近の住民にとっては大切な生活道路がなくなって不便になるが、これからも新たに生まれる小中一体校から栄光に輝く人物を輩出してらうため、協力しないわけにはいかないと、閉鎖式を行った。新しい学校への期待、道路への感謝の気持ちを込めている