加茂市公民館(坪谷正良館長)は11日夜、加茂文化会館で市民大学講座第3回を開き、仏像文化財修復工房=田上町原ヶ崎新田=の代表、松岡誠一さん(40)を講師に「仏像・神像 文化財の保存・修復」のテーマで聴講した。
毎年、開講している生涯学習の講座で、ことしで第37回。県知事を学長とする「いきいき県民カレッジ」にも登録されている。ことしは5月28日から7月16日まで8回のコースで、受講生130人のうちこの日は約80人が出席した。
松岡さんは東京都千代田区神田の出身。東北芸術工科大学(山形市)文化財保存科学コース古典彫刻修復室、同大学院を修了し、文化財の保存修復技術、保存科学を学んだ後、同大教授主宰の修復所に入所した。
新潟県内には仏像修復の工房がないと知り、新潟市が母の故郷でもあり、数年前に田上町に今の工房を開設した。祖父は北方文化博物館の中で育った古美術骨董好きだったという。
講演では、自身が手掛けた埼玉県指定有形文化財「木造安達藤九郎盛長坐像」の修復作業を中心に話を進めた。650年ほど前の南北朝時代の作で放光寺が所蔵する。修復作業で撮影した写真をふんだんにプロジェクターで映しながら話した。
松岡さんがまとめた仏像や神像の修復工程は実に27にものぼり、順を追って説明した。赤外線観察によってそれまでほとんど見えなかった文字がくっきりと浮かび上がることがある。過去の修復で金に塗られたものや「ふつうの人がペンキで塗ったものもある」と松岡さん。それを元に戻すことで造形がはっきりわかることがある。
加茂市の日吉神社の神像はこれまで手掛けたなかで最も虫食いがひどかったが、虫食いを注射器などを使ってひとつひとつ埋めていく作業で、片目を閉じているような表情をしていることがわかった。手や顔が失われている場合が新たに作ることもあるため、彫刻の技術も必要になる。
修復の記録として像内にはヒノキの板に尊像名、修復完成の年月日、修復にかかわった人々の名前を墨書した修復銘札を残す。
講演は修復だけにとどまらず、仏像製作の変遷やその背景にも話を広げた。仏像は一木造りから寄せ木造りに変わっていた。それまでは木の霊性を信じ、一本の木から彫り出されたが、時代とともにこだわりがなくなるという、意識の変化が表れた。
江戸時代になると、仏像を上から下へ通った材がひとつもない仏像も生まれるようになった。これには道具の変化もある。室町時代から大型縦挽きのこぎりが伝来するなど、木材加工の技術の変化があり、「これらが仏像の時代鑑定のひとつのヒントになる」と松岡さん。
平安時代の終わりに目を写実的に表現する「玉眼(ぎょくがん)」と呼ばれる技術が生まれた。凸レンズ状の水晶の裏に瞳を描き,後ろに白い紙を当てて白眼に見せる。日本でしか行われていない技術で、これも時代鑑定のヒントになるが、その後、流行したために、あとで玉眼を施されたものもある。
一方、文化財の指定には功罪があり、指定されないものが大事にされず、「淘汰を助長しているしまう場合がある」、「価値を認められていないものをどこまで残せるかが課題」と警鐘を鳴らした。
どんな地域にも歴史があり、地方から歴史を考える活動が重要になってきており、仏像彫刻は建築よりも古い時代から伝わっているものが多いと言う。「歴史が好きな方にももうちょっと仏像彫刻に興味をもっていただいて地域の歴史を考えるヒントにしていただければ」。
仏像の貴重な歴史遺産は観光資源にもなり、町おこしの材料にもなる。町づくりをするにはその地域の歴史を踏まえるのが大事で、「そのためには歴史の掘り起こしが必要になり、50年後、100年後を見据えて文化財を守っていくことが必要になってくる」と松岡さんは広い視野を求めた。
極めて専門的でアカデミックな雰囲気の講演だったが、講演後の質疑は次々と手が上がり、伝統技法と最新技術の使い分け、修復前に戻すことができる可塑性に対する松岡さんの考えなど、疑問をぶつけていた。