燕市五千石地内、大河津分水路右岸の旧可動堰撤去工事現場で23日、一般開放が行われ、昭和6年の完成から80年間の務めを終えた旧可動堰の最後の姿を川底から見学してもらった。
国土交通省北陸地方整備局信濃川河川事務所が主催。昨年暮れに新可動堰が完成、通水。旧可動堰はその役割を新可動堰に譲り、今は旧可動堰の撤去工事を行うための水を抜く作業が行われている。
ふだん工事現場は関係者以外は立ち入り禁止だが、越後平野を潤し、洪水から守る要として働いた旧可動堰の最後の姿を川底から見てもおうと、一般開放した。8月には撤去工事が本格化し、10ある水門のうち旧可動堰の痕跡を伝える1門を残して撤去される。
好天にも恵まれて朝から来場者でにぎわった。旧可動堰や新可動堰のビューポイントにはテントを張り、パネルを掲示したり、国交省職員が解説をしたりした。旧可動堰は絶対に見ることのできなかった川底からの視点で見上げることができ、これまで関係者以外立ち入り禁止だった旧可動堰上を歩くことも。旧可動堰の下を掘って建設当時に使われた松杭を露出させたところもあり、ドイツ製の鋼矢板を使った隔壁工も見ることができた。
また、昨年夏の新潟・福島豪雨での可動堰の操作をパネルで解説した。信濃川下流の水位を下げるため、7月29日午前10時20分から31日午後2時2分まで信濃川への放流量をゼロにして信濃川本川の洪水をすべて大河津分水路へ流した記録も紹介した。
大河津分水路での水防活動や濁流のようす、河口に架かる野積橋が全面通行止めになったときの写真もあり、地元の人には当時のひっ迫した緊張感がよみがえった。また、ここで信濃川の堤防が決壊すれば2日後には新潟市内まで浸水するとのことで、ふだんは川のなかにある巨大構造物ていどの認識しかない人がほとんどの可動堰が、洪水時にいかに大きな役割を果たしているかを実感できた。