27日、三条市諸橋轍次記念館で八十里越道路暫定的活用検討懇談会の設立総会が開かれた。国交省側の説明では、現在は工事用の仮橋が架かっている9号トンネルから福島県只見町側への橋が完成しない限り、暫定的にせよ歩行者は渡ることができても一般車両は渡ることができないとした。それに対して只見町商工会側は、ことし秋に車で八十里越を通って下田商工会を訪問する考えだっただけに困惑。只見町側の八十里越への期待の大きさを再認識するとともに、これから事務レベルで協議していくことにした。
八十里越は新潟県三条市と福島県只見町を結ぶ国道289号で、車が通行することができる道路は開通してない。開通の見通しも立っていないが、八十里越で最長の9号トンネルが一昨年11月に貫通し、暫定的活用の可能性が広がった。しかし、昨年7月の新潟・福島豪雨で至る所で斜面や道路が崩れて時計の針は後戻りした。
その復旧工事がこの夏過ぎに終わり、再び暫定的活用が見込まれることになったため、暫定的活用で産業、経済、文化、観光の新たな地域間交流を検討し、一日も早い全線開通のアピールにもなればと、この懇談会を設立した。
八十里越によって結ばれると両市町と新潟、福島の両県、国道交通省、商工団体などから30人近くが参加。あいさつで国定勇人三条市長は昨年、三条市を襲った新潟・福島豪雨、7・29水害のときにちょうど只見町を訪れており、大雨の知らせを受けて「六十里越で命からがら、ぎりぎりの局面で三条へ戻ることができた」。六十里越は八十里越から南へ十数キロ南にある国道252号のことで、「(八十里越の)暫定的供用開始が悲願なんだなあと肌身で感じた」と話した。
久保克昌只見町副町長は「これまで以上に一日も早い全線開通を」とあいさつ。続いて国土交通省北陸信越運輸局企画観光部の土田泰之観光地域振興課長が「観光の動向について」のテーマで記念講演し、交通不能国道の開通や短縮した道路開通による観光、経済、住民意識の変化の事例を示した。
国定市長を座長に議事に移り、八十里越の現状と今後の方針、八十里越の活用、平成24年度開催イベントや利活用について話し合った。
国道交通省北陸地方整備局長岡国道事務所の稲本義昌調査課長は、9号トンネルから先、只見町側への橋梁ができていないが、仮橋があるので物理的には「とりあえずは往来ができる形にはなっている」。あくまでも工事用なので一般の車は入られず、「物理的には人が歩いて握手するくらいはできる」とした。
現在は「レベル0」の「限定的に人が行き来できる」状況で、「レベル1」は「限定的に自動車で人と物が移動できる」状態。橋梁の完成で「レベル1」となり、物理的に車で抜けられるようになるが、「災害で時間的にはまだかかる」とし、仮橋ではあくまでも「レベル0のまま」と強調した。
只見町の馬場一義産業観光課長は、橋梁が万全に通行可能な見通しがいつごろかによってこの座談会の活動も変わってくるため、見通しを示してほしいと求め、暫定的でも「救急医療のための限定的な具体的な手順、手法について仮橋ができる前に条件整備をご相談させていただけないか」と求めた。
稲本調査課長は、レベル0からレベル1の見通しは「きょうあすということではないこと」と言うにとどめた。国定市長は、「われわれのタスクとしては、このレベル0の状態でわたしたちに何ができるのかということと、おそらく数年後には到達するであろうレベル1の状態にわれわれが何ができるかということを」、「そんなご認識のなかで次に進んでまいりたい」と、レベル1には、まだ年単位の時間かかることをにおわせた。
只見町商工会の菅家俊一会長は、ことしに入って下田商工会から秋に下田へ来てほしいと招待を受けたことにふれた。「この秋に車で八十里越を越えれるというふうな思いで考えておりました。ですから現段階ではレベル0かもしれませんが、秋の段階ではレベル1になるという期待をもって実は本日、まいったところ」。その理由は昨年も下田商工会の50周年事業を行うので来てほしいと言われ、喜んで伺う代わりにぜひ車で通してほしいと頼んだ。
さらに菅家会長は、「奥会津全体がひとつになって八十里越を契機になんとか地域の活力を呼び戻したいというふうな思いが非常に強い」。今後の事業は只見線沿線の5つ町村と一緒になって交流事業を進めたいと考えており、それぞれの商工会に秋に下田を訪問するのでと参加を頼んで回った。「そのお願いは、実は車で通れますからと言ってしまったんですよ。今のお話は非常にここにきてショックを受けているところで、困ったもんだなと」と立場を説明した。
ここで国定市長が提案。今は仮橋でレベル0だが、「知恵の使いようでほぼレベル1状態」なると。只見町側から仮橋の手前まで来てもらい、約100メートルの仮橋を歩いて9号トンネルから今度は三条市側が用意したバスに乗るという妙案で、「ほぼ事実上、車で来るということが多分、今の状態でもできると思ってます」と話した。
しかし、菅家会長は、「車で通ったという事実が、それがわれわれとしては、実は本当に重要なんです。と言うのは、もう何十年もそれをやってきたわけですから、ここにきてそういう話がやっとできるようになって、それでその皆さんにもいろんな事情があるでしょうが、都合つけて、そのときはぜひ万障繰り合わせて、われわれたのためにお願いしますとういふうなことできておりましたんでね。それが…こういうふうなことになると…非常にまあ困ったというか…」と打ち明けた。
さらに菅家会長から逆提案。マイクロバスで来る予定で、橋梁はいったん車を下りて歩き、車だけを通す形でも構わない。車を通過させることにこだわり、「ということなら、まあ、ぎりぎりかなと。その辺、ぜひ知恵を」と懇願するように求めた。
この提案は国定市長があずかり、「一昨年の11月7日の9号トンネルの貫通がなければ、この話にそもそもたどり着いていないわけでありまして、その今の道路をほぼ100メートル近くあるということは除いたとしても、ほぼ車で行き来ができるようになっている」、「貫通前と比較するとはるかに現実的な活用の可能性が広がってきている」とし、「これまでの国交省さんのご努力もなにぶん、ご理解をちょうだいできれば」と事務レベルでの協議を行っていくことで座談会を締めた。
このあと「いい湯らてい」で懇親会に移った。翌27日も朝から八十里越道路などを現地視察する。次回は秋、只見町で座談会を開く。