27日、八十里越によって結ばれる新潟県三条市と福島県只見町、それと関係団体による八十里越道路暫定的活用検討懇談会の設立総会が開かれた。この日の懇談の肝は、ことし秋に、いかにして八十里越を只見町から三条市へ一般車両を通行させるかに尽きた。
問題は一昨年秋に貫通した9号トンネルから先、只見町川にかかる延長約100メートルの仮橋部分。仮橋の両端までは、それぞれ只見町側と三条市側から暫定的に一般車両で来ることができるが、この仮橋だけは一般車両を通すことがまかりならぬというのが国交省側の主張だ。
国交省側は、現在は「レベル0」の「限定的に人が行き来できる」状況で、「レベル1」は「限定的に自動車で人と物が移動できる」状況と説明した。この「レベル0」、「レベル1」という状況の分類が汎用的な分類なのかは、あらためてこのために設定したのかは知らないが、いずれにしろ国交省側のレベル0とレベル1の間には深くて広い溝があり、それを上書きするようなオーバールールはいっさい認められないという強い意志を感じさせた。
しかし只見町側にも「はい、そうですか」と簡単に受け入れられない事情がある。只見町商工会の菅家俊一会長は、下田商工会から下田へ来てほしいと招きを受けたことを話した。その交渉で、喜んで伺う代わりにぜひ車で通してほしいと頼んだ。そのときは車で八十里越を越えられると思っていたし、只見線沿線の5つ町村にもそのように話して参加を頼んで回っただけに、今さら車が通れないでは、立つ瀬がない。この秋は通行できない可能性が高いという説明に菅家会長は、「非常にここにきてショックを受けているところで、困ったもんだなと」と困惑を隠さなかった。
そこでまず妙案を示したのが国定三条市長。「知恵の使いようでほぼレベル1状態」になると前置きして始めたのは、只見町側から仮橋の手前まで只見町のバスで来てもらい、仮橋は歩いて渡り、渡ったら三条市のバスに乗り換えるというプランだった。「煙管(きせる)」通行とでもいうところか。国定市長はこのプランに自信のあるようすだったが、菅家会長は納得しない。
菅家会長は、「車で通ったという事実が、それがわれわれとしては、実は本当に重要」なことから菅家会長も逆提案。仮橋の前後で車を乗り換えるのではなく、乗客は歩いて渡るので、乗客を乗せないマイクロバスだけも通してもらい、渡ったら再びそのバスに乗るプランを提示した。こちらは言えば仮橋部分を「回送」扱いにする感じか。
しかし、菅家会長のプランでは、車両を通せないとする国交省側が認められないと判断する可能性が高い。座長の国定市長はこの場で結論を急ぐのは得策でないと考えてか、これに対する回答を国交省側に求めず、重ねて暫定的な活用の可能性が広がっている現状を強調し、あとは続く懇親会や事務レベルでの協議をと締めくくった。
それぞれのプランはさながら大喜利のようでもあったが、開通に向けた期待の大きさをひしひしと感じた。今さらながら只見町側の思いの強さを実感した。懇談会で示された只見町から1時間以内で搬送可能な救急医療機関は、59km離れた47分かかる南会津町の県立南会津病院だけ。次いで近い会津若松市の会津中央病院へは97km、78分かかる。それが八十里越えが開通することで、三条市まで58km、46分で結ばれ、一気に済生会三条病院、三条総合病院、富永草野病院、三之町病院へ1時間以内に搬送可能になる。生き死にに関わる問題だけに、八十里越開通は只見町にとっては最優先される課題のひとつであり、掛け値なしに悲願だ。
供用開始前の道路の暫定的活用は、ほかにあまり例がないらしい。一般車両は通行できなくてもせめて緊急車両だけ、はっきり言えば救急車だけでも何とか通すことはできないかと只見町が願うのも無理からぬこと。開通に向けた一里塚とするためにも、「車」を通すこととにこだわる只見町側の思いが痛いほどわかる。奇手でも
三条市と只見町と国交省。「三人寄れば文殊の知恵」で、奇手でも無理筋でも、「三方一両損」でもいいから、三方を満足させながら秋に車を通すことができるような大岡裁きに期待したい。