主にサッカーの観客席で、サポーターがチームを応援する文字や絵を描いた旗をゲートフラッグと呼ぶ。通称「ゲーフラ」。そこにアルビレックス新潟の選手の顔を手描きする達人が燕市にいる。ロンドン五輪日本代表に選ばれて話題沸騰の三条市出身酒井高徳選手を描いたことがあり、サポーターはもちろん選手にも大人気だ。
この達人は、会社員川崎希代美さん(31)=燕市八王寺=。約90センチ四方の白布に青をメーンに、文字などの一部は朱に、2色のアクリル絵の具で描く。秘密兵器は、障子戸。ここに白布をぴんと張っ画びょうでとめ、簡易カンバスのできあがり。筆で布が引っ張られずにきれいな線を描ける。
基本はモノトーンで「極力、中間色は使わない」と希代美さん。絵の具を薄めずに、筆から絵の具が少なくなったときのかすれをグラデーションに利用する。これが独特のタッチとアートなイメージを生み出す。描写が省略してあるので、近くで見るとはっきりしないような印象だが、遠くから見ると逆に細かく描かれたものより鮮明に見え、省略の効果が現れる。
中学、高校は美術部。それ以外に絵を勉強したことはなく、描きながら自分のスタイルを見つけた。気が乗らないと描けないタイプだが、いざ書き始めれば下書きと色塗りで一気に3、4時間で仕上げる。しかし、選手を撮った写真をパソコンに取り組んで加工し、拡大して布に写すといった下準備には数日かかる。「気を使うのは本人に似ているかどうか」だが、似顔絵のような特徴の強調はせず、元絵のまま忠実に描く。
以前は雑誌の写真などを元にしたが、今はまずアルビレックスが練習する聖籠町・新潟聖籠スポーツセンターへ選手の写真を撮りに行くことから制作が始まる。ゲーフラに描くことを直接、選手本人に話して写真を撮らせてもらう。選手と話すいい口実にもなっており、「選手から喜んでもらって頑張ってもらうのが目的で、わたしのゲーフラを見てやる気になってもらえれば」とうれしそうに話す。
父は自称「磨き屋栄治」としてビデオ撮影など地元のさまざな取り組みにかかわる、いわばローカル有名人の研磨業川崎栄治さん(61)、母は千賀子さん(61)。希代美さんは3人きょうだいの末っ子で、今はこの3人でひとつ屋根の下に暮らし、3人とも大のアルビレックスファンだ。
アルビレックスファンになった2005年から。栄治さんがアルビレックスのシーズンパスをもつ友人に誘われて観戦したのがきっかけで、2006年から千賀子さんと2人でスタジアムへ観戦に出掛けるようになった。スタンドで写真を張ったゲーフラを見かけ、「旗があったらいいなー」と希代美さんに頼み込んで坂本將貴選手を描いてもらったの希代美さんのゲーフラ制作の始まりだ。
2007年からゴール裏でゲーフラを掲げて応援。スタンドでサポーター仲間から「どういう風に描いたんですか?」と聞かれ、できの良さに驚かれたと言う。
「大勢の人に喜ばれて、娘だってまんざらじゃないと思うんだわ」、「ゲーフラの写真を撮らせてくれって言われるのが感動もの」と声を高くして上機嫌で話す栄治さん。坂本選手に直にサインしてもらったゲーフラには、本来は背番号「14」なのに「4」となっている。娘が描いたと話すと坂本選手は声を上げて驚き、「あまりびっくりして忘れたんだろうね」と栄治さん。
韓国出身のチョ・ヨンチョル選手はフィールドから希代美さんが自分を描いたゲーフラを見つけ、飛び上がって喜んだとか。石川直樹選手は「母親が喜んでくれてますって言ってた」。栄治さんのゲーフラには関するエピソードは尽きない。栄治さんは希代美さんの描くゲーフラのいちばんのファンであり、自慢だ。
希代美さんは、サッカー仲間の誕生日プレゼントにゲーフラを描いたことはあるが、基本的に自分から描くことはなく、頼まれて描く。これまで20数枚を描いたが、ほとんどは頼んだ人が持っていて試合のたびにスタンドで掲げるので、希代美さんの手元にあるのは少ない。
酒井高徳選手のゲーフラも依頼した人が持っている。これには左右に酒井選手のサインがあり、右がアルビレックス時代に書いもらった背番号「24」、左はシュトゥットガルトへ移籍してからの背番号「2」とある。
栄治さんは、酒井高徳・三条後援会が発足したときの初めての総会に出席、酒井選手のようすに「好青年だよね〜」。ステージを下りようとした酒井選手にサインを求める人の行列ができ、「会場の二百何十人のサインを立ったまま黙々と書いてた」。
両親につられていつの間にかアルビレックスファンにどっぷりつかってしまった希代美さん。お気に入りの選手は、かつては千代反田充選手、今は村上佑介選手。酒井選手のゲーフラはこれまで2枚描いた。「応援したい選手のゲーフラしか描いてないので」と希代美さん。酒井選手の五輪代表入りには「選ばれるとは正直、あんまり思ってなかった」と舌を出すが、「地元出身選手なので頑張ってほしいですね」と期待する。
千賀子さんは「サッカーを通じて知り合いが増えました。サポーターのなかで気の合った人と仲良くなって、ウチへ遊びに来たり、泊まりに来たりする人もいます」。家族3人でサポーター仲間を歓迎する。今は観戦が最も多いのは、県外へのアウェー戦にもたびたび出向く千賀子さん、次いで希代美さん、栄治さんの順だ。
五輪の日本代表選は深夜のキックオフ。栄治さんは「俺は寝る」、希代美さんは「パブリックビューイングでもあれば友だちと一緒に見るかも」。先のW杯の日本代表戦では、千賀子さんと希代美さんが大きな歓声を上げて、栄治さんは寝ていられずに起きて一緒に観戦。五輪の観戦はどうなるか、ふたを開けてみるまではわからない。