燕市は大きな自然災害に見舞われた経験が少なく、万が一に備えて市民の防災意識の高揚を図ろうと7日、初めての燕市防災リーダー養成講座を開いた。
9月15日まで4回のステップに分けたシリーズの講座で、この日はその第1回。参加者は市内の自主防災会で、自主防災会のない自治会はその代表が対象。午後1時半から吉田産業会館で開き、対象者46人のほか、市職員も10人ほど出席した。
まずは鈴木力市長の話。鈴木市長は県職時代に防災や中越沖地震後の柏崎の復興ビジョンの策定にかかわった経歴を紹介したあと、「わたしが常々、口にしているのが自助、公助、共助が大切ということで、その最たるものが防災」とし、もちろん責任回避をするわけではなく、「発災の瞬間は行政が助けるのは無理」、「公序には限界があるという前提で自助、共助が必要になる」と自助、共助の大切さを強調した。
災害発生でまず大切なのが的確な情報伝達で、具体的に燕市が取り組む防災情報メール「防災つばめール」の配信、燕三条エフエム放送での割り込み放送、デジタル放送のデータ放送を利用した防災情報の発信などを紹介した。
避難には、命を守る避難と、復旧復興が終わるまでの避難の最低2種類あり、「命を守る避難はなかなか難しい」。東日本大震災で広域避難がクローズアップされたが、燕市の一部は柏崎刈羽原子力発電所から30キロ圏内に含まれる。広域避難には国や県と調整が必要だが、その方針が出るまで何もしなくていいということではなく、相互応援協定のような関係づくりに取り組んでいることも話した。
続いて防災課から市の防災対策への取り組みを説明したあと、出席者に意見や質問を求めた。駐在所から平日の在宅率は約30%と聞き、避難訓練は住民の在宅が前提だったが、平日に起きたら自主防災組織も消防団も機能しないだろうと不安にかられている人。「防災つばめール」の利用者が2,000余りにとどまって関心が低いと憂う人。ほかにも平屋が避難場所になっているのは水害には不向きで民間の鉄筋の2階建て以上の建物を行政と契約して避難場所にできないか、水で膨らむ軽量土のうを配備できないか、自主防災組織の組織率が60数パーセントはいかがなものかという声もあった。
参加者の意識は高く、次々と手が上がったため、いったん打ち切り、後半は長岡震災アーカイブセンター「きおくみらい」の樋口勲研究員を講師に近年の県内で起きた自然災害や大雨の傾向などについて講義を聞き、災害発生時の対応を考える災害対応カードゲーム教材「クロスロード」を使ったゲームも行った。
自主防災組織は、地域住民による任意の防災組織。県内の自主防災組織の組織率は75%だが、燕市はことし4月1日現在で63.2%にとどまっている。おまけに自然災害の経験が少ないため、自主防災組織があっても活動実態がほとんどなかったり、防災訓練を行っていなかったりと心もとない。
鈴木市長は市長就任以来、防災に力を入れており、昨年9月に新潟大学災害・復興科学研究所と「防災まちづくりに関する協定」を締結、同研究所の福留邦洋特任准教授が燕市総合防災アドバイザーに就任。ことし4月に防災課を新設し、5月には南魚沼市と初めて「災害時における相互応援協定」を締結し、着々と手を打っている。
そうした取り組みの一環で行政だけでなく、災害発生直後の生命や財産を守る要となる住民の意識を高揚させ、ふだんから防災対策に取り組んでもらおうと今回初めて自主防災リーダー養成講座を企画した。
今後のステップでは、(社)中越防災安全推進機構の協力を受け、長岡造形大学の沢田雅浩准教授の講義や山古志などへの現地視察も行う。