2004年の7.13水害からちょうど8年の13日、9人が犠牲になった三条市は、五十嵐川の堤防が決壊した地点に建設された五十嵐川水害復興記念公園で黙とう、献花を行った。
公園に建立された慰霊の碑の前に設置した献花台を前に、国定勇人市長、熊倉市議会議長、吉田実副市長、長谷川正二教育長、新潟県三条地域振興局の岡田伸夫局長と丸山朝夫地域整備部長、地元の人など約20人が参列。堤防が決壊した時刻と同じ午後1時15分に黙とうのあと、順に白い菊を手に献花して犠牲者の冥福を祈った。
午後1時の気温は26.3度で蒸し暑く、8年前のこの日、泥水に覆われた田んぼはイネが青々と広がった。7.13水害から復旧した五十嵐川は昨年7月の豪雨で再び大きな被害を受け、いまだにその傷跡が残る。
国定市長は、9人の犠牲のうえに立って生きていることを確認し、亡くなった人の思いにしっかり報いるためにも「引き続き災害に強い町づくりをしていくと気持ちを新たにした」と話した。
また、昨年の7.29豪雨災害、九州を襲っている豪雨などさまざまな自然災害に「もはや日本の気候が変わったんだと認識するべき」で、「いつ自分たちの想定を上回る災害がおこってもおかしくないという気持ちで、ハード、ソフトの両面で整備していかなくてはいけない」とさらなる防災の強化が必要とした。
今後の課題については、「去年までは7.13水害を忘れないことをまず第一に考えるということだった。その原点を忘れているわけではないが、昨年、同じような水害を受けた以上、この8年で2度水害を経験した私たちの町として、足らざる点は何だったのか検証するだけではなく、直ちにその改善の実行に踏み切っていかなくてはならない」。避難所の見直しやあり方の検討を始めたところで、抜本的な河川改修は必要だがそれに付随したソフトの取り組みも必要と話した。
8年前には自宅も被害にあったという付近に住む女性は、「7月13日は落ち着かない」と昨年に続いて献花に訪れた。昨年の7.29豪雨もあり「雨が降るとおっかねいね」と話す一方で、「今の九州みてると、大変そうだ」と気遣っていた。