三条市は16日、燕三条地場産業振興センター・リサーチコアで三条市地域防災セミナーを開き、三条市防災対策総合アドバイザーの群馬大学大学院の片田敏孝教授の講演を市民など190人余りが参加して熱心に聴いた。
片田教授が「今求められる命を守るための地域防災」のテーマで講演のあと、同大学院の金井昌信准教授が平成23年7月新潟・福島豪雨災害検証「7.29水害アンケート調査結果から今後の水害避難を考える」を話した。
片田教授は近年、自然災害が多発していることから始めた。新潟県も今後は台風への心配が必要で、三条市豪雨災害対応ガイドマップを示して豪雨災害の避難のあり方などについて述べた。
「避難勧告が出たから逃げる、避難勧告が出ないから逃げないという対応は間違い」で、身に迫る危険を回避する緊急避難は、立地場所や家屋構造、家族の条件など個人の条件によって異なり、行政に行動をゆだねていては間に合わず、住民個人の判断が重要で、2004年の7.13水害2011年の7.29水害の2つの水害を経験した三条市が取り組んでいる防災の「努力」を続けていけば、それが「文化」になる。
「釜石市津波防災教育に学ぶ」として、片田教授が岩手県釜石市で防災教育に取り組んできたことを話した。「大いなる自然の営みに畏敬の念を持ち、行政にゆだねることなく、自らの命を守ることに主体的たれ」という信念に基ずく「避難3原則」として、「想定にとらわれるな」、「最善を尽くせ」、「率先避難者たれ」の3つを示した。
釜石市の防災教育を始めた当初、子どもたちが津波がきても「逃げない」と言った。「おとなが逃げられるにもかかわらず、逃げなくて命を落とすのは、おとなの自己責任」だが、「子どもが逃げないよと言ったのは、間違いなく親が逃げない、じいちゃんが逃げない、社会全体が逃げないなかで、逃げなくていいという常識を与えられたから」と、子どもたちの範となるよう自覚を求めた。
地震のサイクルから考えて子どもは生きているうちに間違いなく次の津波に遭遇し、「そのとき命を落としたら誰の責任ですか」、「おとなたちがそういう背中を見せたからこそ逃げないと言った。おとなたち、えりを正せと言いたい」と語気を強めた。逃げないことが常態化していた地域社会のなかで防災教育の必要性を感じ「子どもたちに生きる力を与えたい」と釜石の学校の先生に語りかけたと話した。
昨年の地震直後の子どもたちの行動を紹介。逃げようとしない祖父に泣きながらすがりついて説得し祖父母の命も守り抜いた小学4年生、きょうだいと祖母と逃げた小学3年生、家族との信頼関係のなか1人でいた家からちゃんと避難した小学3年生のことなどを「子どもたちは懸命に逃げてくれた」とほめ、一人ひとりが自分の命に責任をもち、信頼で結んでいると話した。
釜石市で学校管理下にあった小学生1,927人、中学生999人全員が無事だったことは、「釜石の奇跡」と言われた。しかし自宅にいたり、親が迎えにきたりした子ども5人が犠牲になり、「自分を含め、かかわった者からするとつらい側面をもっている」。ほめられればほめられるほど、5人を守ってやれなかったという複雑な思いも話した。
三条市には、さらに防災の取り組みを続け、「この環境で10年育てば文化になる」。子どもは10年たてばおとなになり、さらに10年たてば親になり、「10年一区切りで20年、これをやって災害に強い三条をつくりあげようじゃありませんか」と出席者を鼓舞するように語りかけた。
満員の会場は、三条が体験した水害の話題にはうなずきながら聞き、釜石の子どもたちの話には涙を拭きながら聞いている人もいた。2時間半余りのセミナーだったが、休憩以外は席を立つ人もなく、真剣に聴き入っていた。