燕市の初めての子ども版広報紙発行に向けて市内の小学校6年生の子ども記者が9日、燕市燕地区の戸隠神社の春季例大祭を支える万灯を引き、女の子の踊りを披露する万灯組を取材した。
取材に向かった子ども記者は、燕南小と燕西小の2人ずつと、燕東小、吉田小、吉田南小の1人ずつの7人。取材を受けたのは、木場小路万灯組と横町万灯組の2つの万灯組から若連中5人ずつで、午後7時から木場小路万灯組が練習場所に使っている戸隠神社裏手の集会所で取材した。
質問の内容は事前の打ち合わせで子どもたちで意見を出し合い、万灯組に提出。「つばめ子ども広報」とある腕章をつけた子ども記者は、「昔と今の祭りの違いはありますか?」、「万灯の名前の由来は?」、「やりがいがあるのは?」と次々と質問。写真撮影も子ども記者が市から借りた一眼レフカメラで行った。取材ノートには「登場人物」の項目もあった。
万灯組の若連中は、「昔は夜遅くまでやっていて、夜中の零時を過ぎることも当たり前だったようです」、「一本柱の万灯が全国でもほかにない」、「踊りを担当する子どもたちの成長していく姿を見られるのがいい」と一つひとつの質問にていねいに答えた。
「お互いの万灯組は仲が悪いんですか?」、「横町万灯組にできて木場小路万灯組にできないことは何ですか?」と答えに窮する厳しい質問もあり、取材はたっぷり2時間近くに及び、「手が痛い」と一眼レフカメラの重さに音を上げる子もいた。
写真撮影を担当した渡辺涼君(吉田小)は、写真が好きで自転車に乗って近所の田んぼや山の写真を良く撮りに出掛ける。「ふだんはこういうのを撮らないのでいい経験になりました」と言い、いつもは買ってもらったコンパクトデジカメを使っているが、一眼レフは「シャッターを押すとすぐに取れて使いやすい」とカメラの性能の違いも体験した。
登坂彩未さん(燕西小)は、3年生のときから木場小路万灯組で“お玉”と呼ぶ踊り子を務め、4年目のことしで卒業した。「今まで知らなかった万灯の歴史と意味を詳しく知ることができて良かった」と知らなかったことの多さに気付いた。
子ども版広報紙は、広報紙10月15日号の広報紙とあわせて配布し、その記事を書く記者を公募し、応募した21人を子ども記者に任命した。記事は3班に分かれてそれぞれのテーマで行い、取材はこの日の班が初めて。このあと「燕三条エフエム放送」と「燕市の歴史や伝統」の班も取材に出る。