三条市・諸橋轍次記念館は1、2の2日間、収蔵品の曝書(虫干し)を兼ねた収蔵品の展示を行っており、1日はミニ解説会も開いた。
同記念館が収蔵する作品の目録を整備し、虫干しして作品の状態を確認し、せっかくなので一般の人にも公開しようと昨年初めて行い、ことしで2回目。収蔵品の多くは三条市下田地区に生まれ育った漢学者、諸橋轍次博士(1883-1982)の長男が所蔵していたもので、そのうち拓本5点を含む軸装の書画21点を展示、公開している。
拓本5点のうち4点は諸橋博士が大正時代などの中国に渡って碑文を採った拓本。三国志の曹操(そう・そう)が活躍した時や六朝、唐の時代にさかのぼる古いもの。残り1点の拓本は、箱根の小田急「山のホテル」の庭園に残る「見南山荘の碑」。1939年(昭和14)に諸橋博士が楷書(かいしょ)でていねいに書いた漢詩を刻んだ石碑で、今春、新潟県漢詩連盟の佐藤海山会長=三条市=がホテルを訪れて採ってきた。
三菱財閥4代目社長だった岩崎小弥太(1879-1945)は、諸橋博士の中国留学を支援した。「山のホテル」のホテルは元々、1911年(明治44)に岩崎小弥太の別邸「見南山荘」があった。「山のホテル」のブログによると、「見南山荘」の名付け親が諸橋博士で、碑には1938年(昭和13)初秋、別邸で講義をしたときの模様が歌われ、芦ノ湖の景観の素晴らしさなどが記されているという。また、この夏、この碑が成長したツツジに見えなくなったため、ツツジを移植したことも伝えている。
ほかの展示作品は、諸橋博士の書をはじめ、諸橋博士の父で「嵐陰」の雅号の安平、母方の祖父で三条文人として知られる巻梧石、研究者仲間だった東大教授の塩谷温、諸橋博士の『大漢和辞典』編さんを手伝った東京女子大教授の近藤正治、旧栄町の漢学者渡辺鉄崖の書画が並ぶ。
諸橋博士の書のなかに、今も恋物語が語り伝えられる源義経と静御前についての歌を漢詩にして書いたものがある。行書より草書に近い書体で書かれ、雅号「止軒」の下に「戯草(戯れに草す)」とある。とかく堅物なイメージで語られることが多い諸橋博士だが、人間味を感じさせる作品だ。詳細は何もわからないが、ハングルの書もある。
初日1日は午前と午後の2回、作品のミニ解説会も開き、佐藤海山会長の解説で2回合わせて十数人が参加した。この展示の見学に入館料は必要なく、ふだんは見ることのできない貴重な資料でもあり、大勢の見学を呼びかけている。2日は午前10時から午後4時まで。