日本金属洋食器工業組合理事長で洋食器メーカー(株)アサヒ=燕市朝日町=社長の田中正勝さんが24日朝、死去した。68歳だった。
田中さんは、自宅で具合が悪くなり、病院に救急車で運ばれたが午前5時37分に死亡した。心不全と思われる。
田中さんは男女3人ずつ6人きょうだいの長男で、同社の2代目。三条実業高等学校を卒業後、東京の問屋で修行した。昭和50年に父で初代の正作さんが亡くなると、翌年に社長に就任した。
日本金属洋食器工業組合では、昭和60年12月に理事、平成6年5月に副理事長に就き、同17年3月から理事長を務めていた。昨年は1年間にわたって金属洋食器製造100周年の記念事業に取り組み、牽引した。
昨年スタートしたカトラリー検定をことしも行うため、8月28日に燕市役所で行った記者会見で田中さんは、「継続のための試金石となる第2回目」と位置づけ、継続に強い意欲を示した。「記者の皆さんもここで申し込みますか?。ちょっと割り引きしましょうかね」とジョークも健在だった。
7、8年前に心筋梗塞(こうそく)で倒れたことはあるが、それ以前と変わらないほど回復。最近も月2、3回、好きなゴルフに出掛けるほど元気で、前日も子ども家族と一緒に旅行に出かけ、具合が悪いようすはまったくなかったという。
三男の同社専務、正三さん(60)は、「まだ全然、何が起きたのか…朝からばたばたしてますね」と戸惑う。「昔は大酒を飲んだんですけど、病気してからたしなむていどに。いい酒でしたけどね」。68歳の若さでの急逝に「ぴんぴんしてましたしね。腰が曲がっているわけでもないし、頭は明晰(めいせき)だし…」と残念な思いが口をついていた。
田中さんは夫婦とおばさんの3人暮らしだった。通夜は、26日午後7時から、葬儀式は27日午前10時から三条市旭町2、ビップシティホール県央で行われ、午前11時15分に出棺。喪主は長男の正彦さん。田中さん死去に伴う鈴木力市長のコメントは次の通り。
【鈴木市長のコメント】
田中正勝日本金属洋食器工業組合理事長の突然の悲報に接し、大きな驚きと深い悲しみを禁じえません。
先月の28日に「第2回カトラリー検定」の記者会見で、ご一緒させていただいたばかりです。
私が「ソムリエ・クラス」の受検申込票に記入しているとなりで、いつもどおりのほほえみを浮かべていらっしゃるお姿を、今でも鮮明に記憶しております。
本当に信じ難く、ただただ残念でなりません。
田中理事長の残された、これまでの数多くの功績に対し、心より感謝いたしますとともに、安らかなるご冥福をお祈り申し上げます。