27日に三条市中央公民館で開かれた日本民具学会(佐野賢治会長)第37回大会の公開シンポジウムで「鉄と民具─モノをつくる・ひろめる・つかう─」で、特別調査員として『三条市史』の編集にもあたった国立歴史民俗博物館の朝岡康二名誉教授は、「生活からみる近代金物誌」のテーマで基調講演を行った。
朝岡名誉教授は19世紀の英国の詩人で「モダンデザインの父」と呼ばれるウィリアム・モリス(1834-96)が思い描いた未来のユートピアの話から始めた。モリスは21世紀には工場から機械が消えて労働者から搾取することがなくなると描いたが、現実には手作りと工業化が複雑に入り交じっており、「そういうことに少し目を向けてもらうことがきょうの趣旨」と話して本題に入った。基調講演の概要は次の通り。
【国立歴史民俗博物館の朝岡康二名誉教授の基調講演】
汽車、鉄骨、汽船が文明開化を象徴していた時代は、日常の変化は視野に入りにくいが、逆にそこに注目するようにしばらく前から心掛けている。
昭和5年(1930)に8月に発行されたちらし「加藤金物百貨商報」を示した。横浜の近くにあった加藤金物が通信販売の先駆けとして夏場の中元にあわせて作成したもの。
新しく生まれたアルミニウムは、それまでの金属に比べて軽いことから軽金属と呼ばれた。昭和5年では、すでに鉄の鍋よりもアルミの鍋が圧倒的に多くなった。海軍ナイフなど新アイデア商品が生まれ、打ち刃物の技術いろいろなものに使われた。
かつてのものを引き継いでいるものとそうでないものがある。ちらしに「金雑類」として分類されているのものの中心は、ざる。竹細工の伝承で、非常にたくさんの針金細工があった。
兵隊の食器、水筒が本格的に使われると、大阪を中心にアルミの軽工業が生まれる。どの時代にどういうものが売れてと、消費動向が近代は激しく変化して今日に至る。
モリスの言うユートピアは実現しなかったが、むしろモリスがだめだと言った方に我々の世界は向かって行き、モリスのような世界は違った意味づけ、役割を与えられるようになった。
板金部品なども過去のものをひきずっているものと新しいものが混在した。近世になかったもののアイデア商品はネズミ取り。コレラの流行がネズミ取りの流行に拍車をかけ、ネズミを取る大会が開かれたこともある。
ここ10年、関心をもって遊んでいるのが、かみそり。ひげそりの道具で、刃物は大別して和がみそりとレザーの2種類ある。明治の終わりから大正はレザーの広告がたくさんある。京都は和がみそりを扱っていたが、和がみそりは減って昭和の初めには和がみそりの床屋はほとんどなくなった。
明治の終わりから大正のかみそりは、たいてい英国のシェフィールド、独のゾーリンゲンとスウェーデンのかみそりが有力な3種類だった。収集師よと思っても日本ではほとんど集まらず、オークションに出てこない。米国では家庭で使われたので、米国のオークションサイト「ebay」では大量のかみそりが出てる。
大正時代の金物新聞を見ると、レザーは工業製品。刃物らしい刃物で、非常に工業化されているが、日本は手作り品で工業化が難しい。もう一面として、床屋がレザーを好んだのは、おしゃれだったから。断髪になることでハイカラな世界に仲間入りでき、ハイカラな世界、いわゆるバーバーが床屋の伝統をつくり、ハイカラ主義に和がみそりはかなわなかった。
シェフィールドは昭和の初めには作っていない。砥石(といし)の使い方が日本と西欧とは違い、西欧は長持ちせず、すぐに切れなくなる。
その後、消費を主導したのは、農村から都会に出てきた人。それまで近世の金物の在り方とは変わってきていることをきちんととらえる必要がある。都会にものを売るのは田舎に売るのとは違う。テーマである「つくる、ひろめる、つかう」が一体にならないとうまく回らない。三条は実にうまくやって回ってきた。
商人町で広める人がいた。鍛冶屋と工場と作る人があり、そのなかでものが作られた。商人の町がものを作るようになったのが三条の特徴。それが近世になってから生かせた。しかし、それも新しい大きな曲がり角にきているのかもしれない。技術も毎日、毎日、変わっている。技術が異なると似てはいるけど違うものができ、新しい結果が生まれる。
こういうことを話すのも、民具は研究は古いものに焦点をしぼって伝承することにあったが、それだけでは限界があり、枠組みを広げる必要がある。
三条を再勉強していた。三条はもちろん鍛冶屋の産業だが、工業化は大阪などに比べるとかなり遅れた。問屋制の生産体制が続くが、少しずつ都会の需要に合わせて作るものが変わる。すごくおもしろい。三条は植木ばさみがたくさんある。高級花ばさみを作るメーカーが現れた。明治から大正の頭にかけて花が都会ではやった。三条で花をめでるわけでなく、都会で需要があった。
最近、高級な爪切りの産地として有名になりつつある。ネイルアートのための爪切りが普及し、作り方も高級化した。都会の需要にあわせてものをつくるのが三条。江戸で火事があれば大工道具が売れ、釘が売れる。その延長と言う人がいる。それを売るのが問屋の力だった。
ナイフが売れた時代がある。昭和になってようやく工業化が進んだ。東京と近いこともあり、手作りから工業化まで幅広く生産する産地になっている。その過程を詳しくたどると勉強になる。
ようやく時間的な意味でユートピアの時代に行き着き、近代的なものと伝承的なもののからまりあいを少し客観的に見ることができるようになった。できればもっと視野を広げてほしい。
近代の成り立ちの心情、心延えは、近代は輝かしいものであったというところにある。その反対がモリスのユートピアとしてのポストモダンという世界の提示の仕方。近代を乗り越えた先にどういうものを見ようとするのかというが課題として浮かぶ。先にどういうものを見るか。
古くから変わらず同じように利用されてきたものはない。近代以降、古そうに見えるものは、元々の意味とは違う意味づけを与えられている。西洋から入ってきたものも日本に入って違う意味づけが与えられ、意味の転換が重要な意味をもっている。