衆院選新潟4区に立候補する元衆院議員栗原博久氏(65)は18日、加茂市産業センターで合同選対事務所開きを行い、300人近い支持者が出席して必勝を誓った。第三極結集で注目される減税日本から代表代行の小林興起参院議員も栗原氏の友人として応援に訪れた。栗原氏は第三極の党への公認申請は行っていないが、各党の合流や連携の動きを見て公認申請に前向きな考えを示した。
栗原氏は衆院議員を3期務め、2003年に農林水産副大臣にも就任しているが、この年の衆院選で菊田真紀子氏に敗れた。その後、長男洋志氏を後継に2度の衆院選を戦ったが、いずれも菊田氏に敗れた。
会場の正面には「増税の前に無駄の排除、景気、雇用対策が必要」、「脱原発で放射能から子孫を守らなければならない」とある垂れ幕を掲げた。
あいさつに立った栗原氏は、約9年間のブランクがあるが、立候補の理由を「この10年間の我が国の経済の停滞、社会インフラを何としても取り戻さなければならない」、「大同団結して新しい政治を立て直さなければならない」と始めた。
経済大国の日本が中国、韓国、ロシアなど親しくすべき国から敵視されて、尖閣問題、竹島問題、拉致問題などますます日本を脅かす事態が起きている。まず経済の再生が必要で、消費税の引き上げで13兆円の増収になるが、一般会計の税収は42兆円。経済を強め、雇用を促進して「それから国民に求めるものは求めるべきと考える」。
TPPは頭から反対しないが、TPPによって「我が国がいちばん損する立場にある」。「国の立場を明確に示さない限り安易に妥協すべきものではない」。
原発については、「故郷を捨てざるを得ない状況」に「すぐに原発を止めるのは不可能」だが、「この世から原発がなくなるように努力をし、科学の技術を磨くのが日本人」で、この問題を国政の課題にしなければならい。
信濃川拡幅のために国交省に働きかけたが、「栗原は土建業者のために金をつけると誹謗中傷された」。その後、落選し、水害が起きた。「五十嵐川の破堤は防げた」。五十嵐川と信濃川の合流点の中州を撤去し、瑞雲橋の両岸の掘削を国交省や県に求めた。しかし工事が3分の1で中断し、「よってあの五十嵐川は破壊しました」。
国道403号の改築を早く進め、石上大橋下流に新橋を架ける案が出たが、落選によって消えてしまった。289号の八十里越も早く開通させ、燕労災病院と三条総合病院を再編、統合すれば「加茂の人たちも文句は言わないとわたしは思う」。
「今度の選挙こそ、わたしは日本国は強い日本を目指し、そしてわたしどもの地域の遅れを戻す、この2点にしぼって」皆さんの力をと求めた。自民党の県連には除名されたが、本部は除名しないと決めたのは「良識ある判断」で「立つ以上は勝たねばならない」と支援を願った。
小林興起参院議員は、「栗原さんの長きにわたります友人」と紹介し、「国会がね、いきなり解散しちゃって、もうみんなびっくりしてるとこですね」とざっくばらんに話し始めた。
国民総生産が年率3.5%減のマイナス成長のなか、ただちに国会で補正予算を組み、やるべきことをやってから国民の審判を仰ぐべきで、「これほど情けない政権とは思いませんでした」と批判した。突然の解散で本来は地元から離れられないところだが、「男の約束」なので、「大事な仲間の国政への挑戦、そして当選をお願いして帰りたい」。
地元のために働く、要望をきくことのまったくできない、きれいごとの政治になった。地元のために働いた田中角栄を引き合いに出し、「地元のことができなくて、どうして国のことができるんですか」。
だから1年半たっても東日本大震災の被災地は何も変わらない。国民も変わり、被災地が放置されているのに、おかしいという声が出ない。国民が政治に求めていくことで自分だけでなく全体が良くなる。栗原氏は農水副大臣として日本の農業に具体的な提案をした。
経済を成長させるだけで税収が増え、「中小企業が元気にならなければ税収が上がってこない」、「仕事をする政治家がどんどんいなくなってる」、「競争するほどいい政治家が生まれる」。日本が劣化したいちばんの原因は小選挙区制にある。
石原慎太郎氏が第三極を立ち上げようとしている。既存の政党では日本を良くできないことを天下に示し、新しいものにかけるしかないと石原氏は立った。小異を捨てて大同に就く、まともな第三極をつくり、新しい行政のシステムを考える。中央集権体制には限界があり、地方の声が国に届く道州制を提案している。
そんななかで栗原氏が立つことを決意した。「栗原さんは言ったことは実行する。本当の保守本流の政治家ですから、そしてその言葉は皆さんの声を代弁するということ」で、「地元から出すという気持ち」で「ぜひとも皆さま方の熱きご支持を」と求めた。
囲み取材で小林氏は、第三極の党での栗原氏の公認は、ほかに公認申請がなければ公認することになるとの見方を示した。栗原氏は、「石原新党が最も近づきやすい」が、自身の主張が受け入れられなければ「断念せざるを得ない」。第三極の党の動きがあり、小林氏と協議し、支持者の同意を得て、幹部とも考えて「円満にそのような道が選ばれればその道を選びたい」とした。
復党については、県連が除名しても党本部が除名しなかったのには「そこには大きな意味があると思う」。減税日本が維新の会と合流しない場合に減税日本からの公認の可能性については、減税日本そのものもまだ良く承知しておらず、まだ考えていないと明言を避けた。
同じ新潟四区から立候補する、再挑戦となる菊田真紀子氏については「彼女なりに努力したと思うが、キャパシティー、能力でしょ。党の束縛もあって大変だったでしょ」と評した。10年前から社会インフラは変わっておらず、「わたしはそのつぼを心得ている」とし、布施谷川の改修や403号の早期開通ができるかなどを「過去10年間、勉強してきたのでそれを実践したい、予算化したい」と自信を見せた。
金子恵美氏については「彼女なりに頑張ると思ってますが、まだ若いんですから大いに勉強していただきたい、この一語に尽きます」とした。