9月24日に68歳で急逝した日本金属洋食器工業組合理事長で洋食器メーカー(株)アサヒ=田中正三社長・燕市朝日町=社長だった故田中正勝さんを偲ぶ会が、11日午前11時半から燕三条ワシントンホテルで開かれ、39人が出席して在りし日の田中さんを思い出し、あらためて今生での別れを告げた。
田中さんはアサヒの2代目で、初代の父正作さんの長男。正作さんが75年に亡くなった翌年に社長に就任した。日本金属洋食器工業組合では、85年に理事、94年に副理事長に就任し、05年から理事長に就いていた。昨年は金属洋食器製造100周年の記念事業に取り組んだ。
当初から偲ぶ会を開く計画だったが、昨年の記念事業で始めた11月11日の第2回カトラリー検定が終わるのを待ち、田中さんが亡くなって79日目となったこの日に開いた。参加したのは、来賓や日本金属洋食器工業組合の組合員のほか、田中さんも所属した高橋甚一元燕市長を応援したグループ「四季の会」の会員、組合の事務局職員。
捧和男副理事長は、昨年の100周年事業で「先頭に立って業界のためにご活躍いただいた」と感謝した。来賓で名古屋祐三県産業労働観光部副部長が泉田知事のあいさつを代読、100周年記念事業で訪問を受けたときの田中さんを「持ち前の明るさとユーモアにより、カトラリー検定の例題で問答しながら歓談するなど、温かい人柄はわたしのなかでも印象深い」と振り返り、地域産業への貢献に敬意を表した。
正勝さんに代わって10月に専務から社長に就いた弟の田中正三社長は、「兄は二代目として早くから業界に身を置き、洋食器を愛し、洋食器を作り続けてきた」と言い、「兄に代わって燕産地のますますの発展を祈念する」。
前理事長の山崎悦次燕商工会議所会頭は、田中さんとふたりで取り組んだ日本金属工業ハウスウェア工業組合との合併は果たせなかったが、「いずれは一緒になって産業界を盛り上げなきゃいけないと思っている」。
外国人労働者の相手国との交渉はすべて田中さんに任せ、業界に活力をもたらし、新たな労働力を生んだ。田中さんが副理事長、理事長を務める間に世の中は大きく変わり、輸出のマーケットは厳しく、国内マーケットを切り開いていかなければならないが、業界で一致団結して乗り越えていかなければならないと話した。
そして「若い3人の副理事長があなたの遺志を継いでこれからの厳しい時代を引き継いでくれると信じております」、「本当に残念でございます。長い間、ご苦労さまでした」と結び、組合で片腕となって働いてくれた田中さんとの思い出に声を詰まらせ、最後の感謝の言葉を贈った。
生花を飾った田中さんの遺影に向かって献花のあと献杯した。組合では、役員改選は再来年だが、当面は組合代表は捧和男副理事長を筆頭副理事長として対応する。