衆院選新潟4区の立候補者の応援で民主党政調会長の細野豪志氏が13日午後3時から三条市・イオン三条店前で行われた街頭演説を訪れた。民主党が果たせなかったことをわびるとともに、与党となって果たした実績を示して支援を求めた。
細野氏はスーツにダウンジャケットを着て街宣車の上に立ち、集まった数百人の前で演説した。先にあいさつした国定勇人三条市長に続き、「いや〜皆さん、いい市長さんをですね、この三条市、選んでおられますね。国定市長さんの話を伺いまして本当にわたし、感動しました」と始めた。
三条市は、東日本大震災で被災者受け入れなどで支援し、震災がれき受け入れでも国定市長は苦労をした。三条市民からやっぱり困ったときは助け合おうじゃないかという意志を示してもらった。
立候補者は「本当は何の問題もなく当選をしてもらえる人」だが、民主党の人気が落ちて厳しい評価があり、これは候補者よりも、自分が政策の責任者として責任を感じなければならない。
2万6,000円の子ども手当てや高速道路の無料化が実現できなかったのは、わびなければならない。あらためてマニフェストをつくるのに議論をし、民主党の目指すべき方向を確認し、もう一度、伝えようと決めた。
それは強い社会をもう一度、つくろうということ。自民党は、国防軍を作ったら国が強くなっていい国になると言う。安倍総裁は首相の時に美しい国をつくると言ったが良くわからない。強い国をつくると言っていた自民党政権の時代に社会の世代間の助け合いの仕組みの年金が消えた。なぜその問題を放置したのか。
医療が崩壊し、地域社会が弱くなった。地域社会が強くなり、安心が確保されて初めて強い社会ができる。子どもはみんなで育てる。2万6,000円を出せなかったのは申し訳なかったが、今は希望する子どもはみんな奨学金を受けて大学も専門学校も行けるようになった。
自分は大学生のときに父親が会社を辞め、学費をただにしてもらった。税金で大学へ行かせてもらった。例えば高校生のときに父親が会社を辞めてたら多分、そうはいかなかった。親の仕事が何であれ、親の給料がどうであれ、親が失業してもみんなにチャンスがあるような社会をつくりたい。
友人のひとりが命を絶った。彼に声をかえていれば彼は命を絶たなかった。今も後悔する。国内で年間3万人の自殺者がある。ことしは15年ぶりに3万人を下回り、2万8,000人くらいまで抑えられる状況になり、地域のつながりを強くし、社会を強くして自殺者を少なくすることをやってきたことをわかってほしい。
時々、小泉政権のころが良かったと言う人がいるが、小泉政権のときの自殺者は3万4,000人だった。いくら東京が良くなり、経済が成長しても意味がない。そこで働く人や生活する人が元気になってこそ、政策が生きて、世の中が良くなったと言える。そういう経済成長をしたい。
再生可能エネルギーでこの地域にはいろんなものができる。ごみ焼却場に発電施設がついてないなら、環境省でつける算段をつけ、いざというときに予備の電源になる。農業もバイオマス発電の燃料になる。海で風力もいける。原発だけに頼って、そこから知らない間にエネルギーが来るという時代ではない。地域でエネルギーを使い、地域でそれを産業にしていく。そういう予算の使い方に変えてきた。
天下りはなくなった。特別会計もほとんど削減した。むだをなくして社会保障や教育を大事にしてきた。自民党の政策集には各業界団体の要望が書いてある。与党にとって非常に都合のいい制度で、要望を実現すると業界団体が金を持ってきてくれる。「皆さんの税金を使ってじゃんじゃん、じゃんじゃん自民党が好き放題をしたから皆さん、そろそろ自民党がだめなんじゃないかという風に思ったんじゃないですか?。わたしは自民党はまだ変わってないと思いますよ。また同じことをやる」。
消費税増税は申し訳ないと思っているが、無駄遣いを削って医療、介護、年金、子育てをやった。ここから将来に向かって医療や年金を持続的にしっかりしたものにするには税の問題をお願いするしかなかった。「いちばんいやなことから逃げる、そういう人たちに政権を任せるわけにはいかないと思う」。
最後に選挙戦について「こっから声を大にして言います。厳しい。現実は厳しい。本当にこの新潟県全体、厳しい」、「ここが踏ん張りどころ。しっかりと皆さん、もう一度、ここで力をあわせて」と声を張り上げて支援を求めた。
演説後の報道関係者の質問を受けて細野氏は、自民党が公共事業の必要性に訴えていることについて、「国道強靱化という名前を借りた業界に対して金を配る姿勢の公共事業は絶対にやっちゃいかん」、「われわれは人を大事にする政治をやってきた。自民党は再び財源を公共事業に振り向けようとしている」と批判した。
新潟4区は「厳しい戦いだが、実績からいっても絶対に落とすことができない候補」で、「何としても結果を出してもらいたい。われわれも全力で支援します」。
また、「新潟県は政権交代の象徴的な県だった」。「ここで勝つことが全国的な情勢に大きく影響する」ので、「最後の最後、やはりぎりぎりの勝負になると思いますけど、全力で頑張りたい」とした。
こちらも聴衆には女性が目立ち、街頭演説が始まる20分以上前から会場を訪れた細野氏は、一緒に記念写真に写ったり、握手したりとリラックスし、女性のにぎやかな笑い声が響いた。名刺を配り始めるといっせいに女性が群がって手持ちの名刺があっと言う間になくなり、すぐにスタッフが追加する人気に細野氏も目を丸くしていた。