燕市長善館史料館(吉田勝館長)は、16日午前9時半から隣接する吉田老人いこいの家「長善館」で初春恒例の百人一首かるた大会を開いた。今回は昨年、燕市教育委員会が作成したご当地かるた「つばめっ子かるた」も初めて登場し、これまで以上ににぎやかな声が響いた。
地元の子どもたち12人とおとなも加わって25人が参加。百人一首とつばめっ子かるたに分かれてかるた取りに熱中した。この大会では初登場のつばめっ子かるたは、先に定めた競技ルールにのっとって行った。
つばめっ子かるたには、粟生津小学校の2年生から4年生までの男女3人ずつ6人が参加し、最初は3対3で団体戦。絵札が残り少なくなると反射神経の勝負で、読み札を読み上げると同時にかるたにとびついて全員で「はーいっ!」。滑ったり転んだりでわーわーきゃーきゃー、けたけたと笑い声が響いた。
おとなに代わって子どもも読み札を読んだ。小学校でもつばめっ子かるたに取り組んでいるとあって、3年生以上の子どもは読み札の必要がなかった。と言うのも読み札の句をすべて記憶しており、場に残っている絵札を見て読み札を暗唱。つばめっ子かるたの小学生への浸透ぶりを示していた。
粟生津の私塾、長善館に学んだ中国文学者、鈴木虎雄(1878-1963)は、3歳にして百人一首の和歌のうち半分を覚えたという逸話が残っている。それにちなんで吉田館長が百人一首かるた大会を始め、ことしで18回目になった。
吉田館長は、「昔から長善館では百人一首をやっていました。勉強の手始めのようなものでした」。会場の長善館は昭和10年(1935)に改築された長善館の母屋の復元で、改築当時はすでに長善館はなくなっていたが、長善館の指導者だった人の家族が暮らしていたと言う。
この日は厳しい寒波で、朝は窓のすき間から吹き込んだ雪を片付けた。大会の間もすきま風で満足に暖房も効かなかったが、古びた木造の建物のなかで寒さに体をすくめながらかるたに熱中するのも逆に往時を思いをめぐらせてくれるような趣があった。