先細りの一方だった燕市内の菓子店に受け継がれる天神講菓子を燕市が積極的にPR展開を始めてことしで3年目。ついに1店舗が天神講菓子の製造を再開して、これで燕市内で天神講菓子を製造する菓子店は13店舗となり、天神講菓子の人気回復が目に見える形となってあらわれてきた。
天神講菓子の製造を再開したのは、昭和35年(1960)開業の燕市南3、寿津屋(すずや)菓子店。14日でバレンタインデーのチョコレートを片付け、翌15日はそのスペースに約30年ぶりとなる天神講菓子を並べた。
天神講菓子は、天神、松、筍、梅、ぶどう、亀、鯛をそれぞれかたどった7種類。1個260円から380円の粉菓子で、初日は朝から展示講を並べているうちに年配の女性が鯛を買っていたと言う。
主に初代の鈴木保さん(73)が和菓子、その跡を継ぐ長男の猛保さん(49)が洋菓子を製造している。保さんが市内の小池屋菓子店に修行してから独立、開業した当初から天神講の菓子を作っていたが、しだいに売れなくなって製造をやめた。
一昨年、昨年と市内で行われた天神講菓子の展示では、かつて使っていた菓子の木型を展示したが、旧燕市内の菓子店でつくる燕菓子組合から天神講菓子を「作れ、作れって言うもんだから」(保さん)、「今の市長が子どもの時分、天神講をやったって言うし、一生懸命だしね」とついに腰を上げた。
木型は業者から買ったり、菓子店を廃業した人からゆずってもらったり。天神の木型は近所で欄間などの木彫を手掛けていた職人に作ってもらった。色付けは、食紅をふるいとシュロを使ってグラデーションを表現したが、今は霧吹きを使う。
30年ぶりに作る天神講菓子に「始めは何回かちょこっと崩れたけど、また、ほぐして何回かやってっと、わーけ(若い)ときの感じを覚えてんだね」と保さん。天神講菓子を作るのは「大した技術じゃありませんよ」と言うかたわらで猛保さんが「だいぶ四苦八苦してたよ」と笑いながら冷やかす。
保さんは「売れるんだか、売れねーんだか」と売れ行きはさっぱり見当が付かない。「売れねば来年あたし作らんし」、「あんまり期待してねーけど」と言いながら、年季の入った木型や久しぶりに自分の手で作った天神講菓子を懐かしそうに見た。
15日から25日まで燕市仲町、グループホーム仲町で開かれている「越後つばめ 天神講菓子展」にも、ことし初めて寿津屋の菓子が並び、燕市伝統の天神講菓子を守る店として名を連ねている。