東日本震災から2年となるのを前に、今も被災地から197人が避難している三条市で10日、東日本大震災二周年追悼式典「縁ー感謝を忘れずに共に乗り越えよう」が行われ、市内の避難者など約80人が出席して犠牲者の冥福を祈り、避難者交流会で演奏やダンスのステージを楽しんだ。
三条市内に避難している人たちの有志でつくる「交流ルームひばり」が主催。追悼セレモニーは午後1時から同センター駐車場で行う予定だったが、あいにくの荒天のため館内に会場を移して行い、黙とうをささげ、白菊を献花した。
避難者を代表して村田良隆さん(49)が追悼の言葉で、「警戒区域が早く解除になり、一日でも早く生活再建ができるように、取り戻すことが第一の願い」で、三条市の支援に感謝し、「犠牲者のために頑張って生き抜こうと思います」と述べた。
村田さんは、南相馬市小高区本町で創業約80年になる酒店を営んでいた。三条市の臨時職員として働く。小高区は昨年4月に立ち入り制限が解除されたが、夜間の滞在は禁止されたまま。「若い人は子どもが大きくなって育つまでは帰れねーって」、「生活もできねーよーなところ」と言い、自身の将来については「まだ考えられないねー」と話した。
国定勇人市長は追悼の言葉で、「無念の思いで犠牲になられた数多くの方々のためにも、この苦境を乗り越え、たがいに助け合いながら前を向いて力強く生きていくことが、残されたわたしたちの使命であると思っております」。ふるさとへ帰ることができる日まで「気持ちのなかでは三条市民としてこれまでの月日で築き上げてこられた絆と互いの信頼関係を支えとしながら平穏な生活を送っていただけることを」願った。
国定市長は、避難者を受け入れた各地の自治体の首長のひとりであると同時に、個人的にも福島県福島市にある妻の実家の家族も自宅で受け入れていた時期があった。
続く交流会では、三条小学校5年生と同校卒業生でつくる三小相承会の和太鼓、きよ里 with トシ遠藤の三線とギター、江辺玲子さんの二胡の演奏、燕市内の避難者有志によるフラダンスが披露された。
会場には、南相馬市から避難している元力士による塩ちゃんこ鍋、旭小学校児童が学校教育田で栽培したコメを三条市食生活改善推進委員が調理したおにぎり、ケーキ店「ビアンポポロ」がショートケーキをそれぞれふるまった。
三条市はピーク時、611人もの避難者を受け入れた。東日本大震災から一周年の昨年も式典やイベントが行われた。昨年と比べると張り詰めたような重々しい空気は薄れた。自主的に避難している人の割合も増え、避難している人たちの状況もゆっくりとだが変化し、心の平穏を取り戻していることに「これでいいんだよね」と話す人もいた。