東日本大震災からちょうど2年たった3月11日午後2時46分、全国各地で犠牲者に対する黙とうがささげられ、多くの尊い命の冥福を祈った。
三条市も各庁舎で半旗を掲げ、館内放送で職員をはじめ来庁者にも黙とうを呼びかけた。
本会議開催中の三条市議会は、午前10時の開会前に国定勇人市長をはじめ市議ら全員で黙とうを捧げた。
三条市消防本部では、午後2時46分から黙とう。同本部2階の事務所では、作業をしていた20人近くが署内の放送によって、それぞれが起立、目を伏せて亡くなった人たちの冥福を祈った。
同本部は発災から約2時間後の午後5時に三条市を出発し、緊急消防援助隊新潟県隊として宮城県石巻市で活動した。
緊急援助隊として同本部からは、3月11日から5月7日までの56日間、100人(延べ109人)が、捜索、救急、消防、後方支援などの任務を行った。
同本部警防課長は、震災が発生したその日、第1次派遣隊の隊長として現地に向かった。テレビの特別番組や新聞などで被災地は2年たっても変わっていないという報道に接する。「一日も早い復興を願う」、「元通りは難しいと思うが少しでも早く、元の生活が送れるようになってほしいと思っています」と願う。仕事を再開したといった明るいニュースには「こちらが勇気づけられる」と言う。
三条消防署次長は。3月29日から5月7日まで第7次隊で活動した。石巻市立大川小学校付近の捜索活動にも参加した。被災地は水がたまったままで湖のようだった。陸上用の装備しかない消防の活動は困難を極めた。若い夫婦が子どもを探す光景にも遭遇した。4日間の任務に「できればもうちょっといたい、もう少し仕事をしたい」という思いもあったと振り返る。
大震災から10日目ころに救急隊で活動した隊員は、がれきの中を救急車で走り、帰ると休む間もなく次の現場へ。当時は避難所の人からの救急要請が多く、劣悪な環境で体調を崩し、インフルエンザや風邪が流行。家の片づけでけがをする人もいた。
あっと言う間の2年で何も問題が片付いていないように見え、「亡くなられた方のご冥福を祈るとともに、被災された方が、一日も早く、ご自分の家に戻れるように願っています」と黙とうをささげた。
また、仕事を中断して黙とうをささげた事業所もあり、三条市旭町2、三条信用金庫本部も半旗を掲げていた。