藤井大輔&芳輔の鉄道コラム「鐵道双見」
新幹線「200系」が3月15日に30年余の歴史に幕 (20123.3.13)

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1982年の上越新幹線開業で高速交通時代が幕開け

1982年(昭和57)11月15日。埼玉県大宮市の大宮駅6時35分、開業式典に見送られて「とき301号」が上越新幹線下り一番列車として発車した。その10分後、式典の舞台は新潟駅に移り、上り一番列車「あさひ190号」が高木文雄国鉄総裁、君健男新潟県知事らのテープカットに見送られ出発した。“高速交通時代の幕開け”と呼ばれた上越新幹線・大宮‐新潟間(269.6km)の開業である。

2012年8月12日、長岡‐浦佐間で

2012年8月12日、長岡‐浦佐間で

この開業から東北・上越新幹線で運行されてきた「200系」電車が2013年(平成25)3月15日に定期列車の運行から引退する。新幹線といえば、だんご鼻に青いラインの「0系」しかなかった時代、登場したときには「新幹線が青くない」と言われ、E2系や「はやぶさ」のE5系が登場すると格好良さからか子どもたちからの人気は陰り、それでも30年強、東北の地を、上越国境を駆け抜け続けてきた「200系」がいよいよ引退する。それは、同時に日本の新幹線網から「国鉄型車輛」(国鉄が設計した車輛)が引退する日でもある。

2008年4月29日、大宮駅で

2008年4月29日、大宮駅で

東北・上越新幹線用に雪や寒さに対応した重装備

200系は東北・上越新幹線用に開発された車輛で、「0系」よりも雪や寒さへの備えを向上させた車輛である。その特徴は、先頭部分にある「スノープラウ」と呼ばれる線路上の雪を除けて走行するための装備、そして機械に通す風に雪が混じらないようにする雪切り室、車体下部まで一体として床下機器を雪の侵入から守る「ボディーマウント構造」。まさに、雪・寒さへの重装備を施した車輛である。それゆえ、車体が重くなるためアルミ合金が車体構造に用いられた。それでも12輛編成は697トンもあった。

1987年(昭和62)の国鉄改革(分割・民営化)後も東北・上越新幹線の営業を引き継いだJR東日本によって200系車輌はさらに製造され、全製造輛数は700輛にのぼった。

2012年10月21日、新潟新幹線車両センターでの一般公開

2012年10月21日、新潟新幹線車両センターでの一般公開

時速275kmの、JR東日本のフラッグシップ車輛

国鉄改革後、利用者数が少なかった上越新幹線の各駅停車「とき」では、12輛編成から8輛編成に削られたりしたが、その一方で、上野−長岡間でノンストップの「あさひ」では当時、国内最速の時速275kmで運転するなど、JR東日本の最初の10年のフラッグシップ車輛であったのは間違いない。200系の活躍は山形新幹線開業によって「つばさ」と併結して運転したり、1998年の長野冬季五輪では特別の改造を施して長野新幹線に乗り入れるなど、まさに大活躍だった。

しかし、「E2系」電車が開発され、主に東北新幹線「はやて」に投入されると、徐々に活躍の場を狭められ、2007年(平成19)には、リニューアル工事を施さなかった車輛は引退した。

2012年10月21日、新潟新幹線車両センターで一の般公開

2012年10月21日、新潟新幹線車両センターで一の般公開

中越地震で「乗客が乗った営業列車で初めて脱線」

200系でもっとも多くの人々の記憶にも残るのは、残念ながら「乗客が乗った営業列車で初めて脱線」した事故であろう。2004年(平成16)10月23日17時56分、マグニチュード6.8の大地震が川口町の深さ13kmで発生、あの「新潟県中越地震(新潟県中越大震災)」である。この時、浦佐‐長岡間を走行していた200系電車10輛編成の「とき325号」は、激しい揺れに脱線した。幸いに乗客・乗務員にケガはなかったが、「新幹線で初めての脱線事故」として記録されることになった。

時期は前後するが、1999年(平成11)から2002年(平成14)にかけて、10年程度さらに使用することを考慮した延命工事であるリニューアル工事を12編成に施した。これにより、200系最大の特徴であるだんご鼻は少しだけスマートになり(とはいえあまり見分けはつかない)、車体のカラーリングも変わった。

 2009年4月6日、東京・王子の「北とぴあ」から

2009年4月6日、東京・王子の「北とぴあ」から

東北新幹線の200系運用は一足早く2011年に引退

200系電車よりも後、1994年(平成6)に登場し晩年は上越新幹線専用となった全2階建新幹線の「E1系」電車は、昨年9月に引退。200系電車は2011年(平成23)11月には東北新幹線での運行から引退し、200系ラストランはもう時間の問題だったといっても過言ではなかった。

2012年(平成24)12月に公表された「2013年3月ダイヤ改正」により、3月16日のダイヤ改正前日の3月15日をもって、200系電車の定期列車からの引退が発表された。

200系に代わって上越新幹線でも登場した「E2系」や全2階建車輛の「E4系」のようなスマートさはなくとも、豪雪の冬も灼熱の夏も30年強もの間、ただただ新潟と東京を結び続けた立役者はなんといっても「200系」であったことに異論はないだろう。

2009年4月6日、同じく東京・王子の「北とぴあ」から、奥の山は「飛鳥山」

2009年4月6日、同じく東京・王子の「北とぴあ」から、奥の山は「飛鳥山」

新潟と東京を結んだ立役者200系の記憶

私も上越新幹線開業の日、200系電車の上り一番列車「あさひ190号」を燕三条駅で見送った記憶が強烈に残っている。それ以来、人生のところどころに200系の記憶が残る。上野駅の地下ホームで列車を待った記憶、あまりの混雑に辟易とした記憶、ビュッフェで食べたカレーライスの味、それにビュッフェにあったデジタルの速度計が200キロを超えたときの胸の高鳴り、携帯電話のない時代に公衆電話から家に電話をかけた思い出、大清水トンネルを抜け越後湯沢の雪の多さに吃驚した記憶。

そして迎える2013年(平成25)3月15日。新潟駅22時06分着の「とき347号」で、1万1,000日にも及んだ200系電車の幕が下ろされる。多くの人々の夢を、希望を、乗せて走り続けた200系の記憶のレールに終点はないだろう。

2007年3月25日、燕三条駅でのイベントで

2007年3月25日、燕三条駅でのイベントで

なお、3月15日の最終営業運行以降、上越新幹線では、3月23日・30日に新潟発上野行の団体専用列車「春満喫TYO」号が200系電車で運転される予定である。

4月14日には新潟発東京行、大宮発新潟行の団体専用列車「さよなら200系」号が開業当初のカラーリング車輛の200系電車を用いて運転されることになっている。大宮発新潟行の「さよなら200系」号が新潟駅に着く4月14日17時26分をもって「200系」電車は完全に引退する。

JR東日本「【夢をありがとう!200系新幹線】 スペシャルサイト」

(藤井大輔)


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