東日本大震災の避難者受け入れを次世代に引き継ごうと三条市が記録誌を作成 (2013.3.18)

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東日本大震災で福島県からの避難者を受け入れてきた三条市は、受け入れで得た数多くの経験を次世代に引き継ごうとまとめた記録誌「東日本大震災 広域避難者受け入れの記録〜三条市は避難者をどのように受け入れたか〜」を作成している。

三条市が作成している東日本大震災の被災者受け入れの記録誌「東日本大震災 広域避難者受け入れの記録〜三条市は避難者をどのように受け入れたか〜」 ?
三条市が作成している東日本大震災の被災者受け入れの記録誌「東日本大震災 広域避難者受け入れの記録〜三条市は避難者をどのように受け入れたか〜」

三条市は2011年3月11日の地震発生から5日目の3月16日から新潟県の依頼で福島第一原子力発電所の事故の影響などで避難する人たちを受け入れた。市内4カ所に避難所を開設し、全避難所を閉鎖する8月31日までの半年近くで747人を受け入れた。避難所以外の親せき宅などに避難した68人も含めると計815人が三条市に避難し、2年たった今も約200人が三条市で避難生活を送っている。

記録誌は、A4判サイズ116ページ。「避難者の受け入れ」、「三条市が行った避難者支援」、「アンケート結果から見る今後の課題」、「避難所生活から新たな生活へ」の4章でつづる。人数など具体的な数字の入った経緯や事実、三条市での避難生活を経験した人の手記、避難者アンケートとボランティアアンケートや市職員アンケートの集計や抜粋などを収録。避難者、市職員、ボランティアなど、それぞれの立場での課題や問題、反省、感じたこと、解決方法の提案も掲載する。

記録誌の誌面の原稿
記録誌の誌面の原稿

第2章の「三条市が行った避難者支援」では、避難所を開設して避難者を受け入れた第1段階、長期化が予想されてきた避難生活の生活環境の整備の第2段階、避難所からアパートなど生活の拠点が移ってからの対応など「つながり」のある暮らしへの支援の第3段階と、段階的に変化していく求められることやその対応などを、順を追って記している。

同記録誌の「はじめに」では、三条市は平成16年新潟豪雨災害の7.13水害発生時に全国から多くの支援を受け、それが復旧復興への力になったと書く。「今度は三条市が被災地ではないからこそできる被災者支援を誠心誠意行うこととしました」。そして「この受け入れから得た数多くの経験を今後風化させることなく、次世代へ伝えていくために伝わるカタチとして発刊した」と記している。

記録誌は4月の発刊の予定で製本作業などの準備を進めており、完成後は、市職員のノウハウとして活用するほか、市議会、県内の市町村などに配布する。


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